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OCDコラム

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OCD体験者座談会2011
第2回目 受診から適切な治療に出合うまで(全3回)


先月に引き続きOCD体験者座談会をお届けします。前回は、OCDの発症当時のことを中心にお話しいただきました。今回はどうにか症状を軽減したいと適切な治療を模索する様子と、その時々の心の内を語っていただきました。
お集まりいただいた3名は、悩み、苦しみながらも改善の道を歩んだ方々です。すべてが参考にはならないかもしれませんが、あなたの悩みをわずかでも軽くさせる情報があればと思います。

注意>>>>>

  • 座談会でお話されていることは、それぞれの方の実体験に基づいたものです。
  • 時代や地域により、治療法など医療の状況が異なる場合もあります。
  • ここで紹介されている対処法は、それぞれの方で条件が異なりますので、どなたにでも応用できるものではないことをご了承ください。決して自己判断で対処法など行われませんようお願いいたします。

目次
§1 初めての受診、OCDと診断されて
§2 2度目の発症、3度目の発症
§3 認知行動療法 テツさんのケース


§1 初めての受診、OCDと診断されて

有 園
OCDとか精神科関連の病気だと、病院に行くのに踏み切れない人も多いと思いますが、皆さんはどのような感じで病院に行ったのか教えてもらえますか。じゃあ、わいこさんから。

わいこ
22歳の、本屋さんでお金払ったか払わなかったか不安になった事件(第1回目のコラムで紹介)のときに、もう本当、ありとあらゆることが怖くなって、このままじゃいられない! と思って。「あそこの病院、いいよ」と弟が言った大学病院に、弟について来てもらって、受診したのが初めてでした。

有 園
最初、精神科に行ったとき、どんな感じでした?

わいこ
やっぱドキドキしましたね。最初、先生に診てもらう前に、カウンセラーの人とかが問診するじゃないですか。その人に、何をどう話していいかわからなかったから、小さい頃からの悩みとか、不安だったこととか、すごい号泣しながら話して。先生に診てもらったら、なんか「うーん」みたいな感じで、「それは強迫神経症だけど、取りあえず薬を飲んでください」と言われただけで、「それに対してどうしなさい」とかは言われなくて、「あれ? どうしたらいいんだろう?」みたいな感じでしたね。
そして薬を飲んでも何も良くならなかったので、その大学病院の紹介で、森田療法をやっている病院に4ヶ月入院しました。

有 園
当時(約20年前)の精神病院って、怖いっていうイメージはありませんでしたか?

わいこ
いや、怖いっていうのはなかったんですけど、やっぱり若かったんで、恥ずかしいってのがすごくあって。自分の悩みを異常だと思っていたんで。「人を殺していたらどうしよう」なんて悩みを、いくら医者でも、赤裸々に語るのはすごい緊張で、何からどう話して、どこまで話せばいいのかっていうのをすごく悩みました。

有 園
じゃあ、キャロットさんがうつ病で最初に病院に行ったときはどんな感じでしたか?

キャロット
精神科に行くこと自体に抵抗はありませんでした。自助グループの仲間で通っている人がいましたから。

有 園
テツさんは、精神科に行ったときはどんな感じでした?

テ ツ
そうですね。結局、2006年の3月31日付けで、郵便局を辞めました。辞めることを親に相談しなかったために、親とけんかですよ。それで、家を出て、アパートを借りて、一人暮らしをしたんです。虫、とくにゴキブリが出るのは嫌だから、新築のアパートを探して入りました。それでも、5月ぐらいになると、暑くなってきて虫が出てきて……。新築なのに、虫が出てきたもんだから、頭の中、パニックですよ。

ものすごくつらかったんですよ。それで、もうこれは絶対、病院に行くしかないと自分で覚悟を決めましてね。前にうつ病で通った病院は行きたくなかったので、家から近いそれなりの規模の病院に行きました。そしたら、その病院では「うちは精神科があまり大きくないから、大学病院に行ったほうがいい」というので、大学病院に行きました。

大学病院の精神科で診察してもらったときに初めて「あなたの症状は強迫性障害です」って言われたんです。「ああ、やっぱしおれは病気だったんだ」と思いました。自分がおかしい、「おれは頭がおかしくなったんだ」って思ってたのが、「病気です」って言われて、ほっとしたっていうか、安心した感じがありました。

「親とけんかしているから実家には戻れない。新しく借りた新築のアパートも虫が出たから住みたくない。なので、先生、とにかく入院させてください」ってこっちから言ったんです。

そしたら、先生が「それは構いませんよ」って言ったんですが、「ただ、期待しないで来てください」とも言われたんですよ。それで、2006年の6月から入院したんです。治療は、薬物治療でした。

薬が効いてるような実感はなかったんです。結局、10月の初めに退院しました。退院後は、外へ出かけるのは病院だけで、虫が出るような汚いところに行きたくないから、ほとんど、出て歩かなかったですね。結局、そのまま3年通院して、その後、担当医の先生が異動になるんで、私は自宅近くの総合病院に転院することになりました。

有 園
入院していた病棟はゴキブリとかは出なかった?

テ ツ
出ないです。

有 園
ですよね。だから、自分の嫌なものに出会わなくて済みますよね。わいこさんの場合は確認だったじゃないですか。入院していると、確認とかしなくて済みますよね。それは、強迫症状を引き起こすトリガー*1に触れないだけの話で、おそらくトリガーに触れた後に強迫症状が起こるしくみ自体は、そのままなんですよね。だから、入院している間は症状が出ないけれど、退院すると、トリガーに触れて、また症状が出そうな不安が起こるんですよね。わいこさん、2度目のときの治療ってどんなふうでしたか?



§2 2度目の発症、3度目の発症

わいこ
2度目のときは32歳で、仕事も持っていたし、とにかく通院で治してくれる病院を探さなくては! と思ってました。ある作家の、自分の強迫性障害体験を書いているエッセイがあって、それを読むと、かなりひどい症状だったんだけど、すごく優しい良い先生に診てもらって治ったって書いてあったんです。「そんな良い先生だったら、この先生にかかるしかない」と思って、予約を取って診てもらったんですけど。

なんだか怖い先生っていう感じで、「もっと重症な病気の患者さんを診なきゃならないから、強迫ぐらいで来ないでほしい」と言われたりもしました。「仕事あるから入院はしたくなくて、出来れば通院で治したいんです」って言ったら、「ふうん」みたいな感じで。「じゃあ、もう薬飲むしかないね」とか言われて薬を処方されました。外に出ること自体も怖かったのに、先生も怖かったから、病院に行くことがすごい恐怖で、3~4回通ったんですけど、すごく心が不安定になっちゃって。帰り道、ずっと振り返って、「私、本当にすれ違った人を殺してないか」とかって不安になっちゃって。すれ違うたびに、何度も振り返って確認したりとか。1時間ぐらいの道のりを3~4時間もかかってしまって。もう怖くて、怖くて病院に通うのやめちゃったんです。

だけど生活しないといけないから、とりあえずもらっていた薬を飲んでいました。もう本当に買い物とかにも出られないから、家にある海苔とかかつおぶしとかを食べていたんですよ、1日1食くらい。おなかは減るんだけど、怖さのほうが大きかったから。

親も心配して、実家に帰って来いと言うことになり、「実家に帰るので、会社、辞めさせてください」って上司に話したら、すごく理解がある方で、「実家に帰っても、ネットがあれば仕事は出来るんだから、仕事も会社も辞めることない」と言ってくれて、続けることになりました。

実家に帰るために、荷物を段ボールに詰めていたときに、大学の時に付き合っていた彼氏は、「元気にしてるのかな、どうしてるのかな」とか思って。共通の友達に連絡先を聞いたら、彼氏に連絡してくれて、電話かけたんですよ。「実は、またあの病気が重くなっちゃって、実家に帰るんだ」と言ったら、「ちょっと、今から行ってやるよ」って、夜に車を飛ばして来てくれて、話とかすごく聞いてくれて。私、前のダンナに「駄目人間」ってけなされていたんですけど、「そういうことをけなす奴のほうがダメ人間なんだから、自分のことをそんな風に思わないほうがいいよ」とか「病気だからしょうがないけど、おまえが悪いところを言うとすれば、『こんな症状だから私はダメだ』とか『こんな風だから、私はもう生きてけない』とかってマイナスに考えるとこが悪い」とか「そういう症状は病気なんだから、しょうがないじゃん。たとえばおまえ、目が見えない人とか、歩けない人とか、誰かの介助なしでは生きられない人のことをダメ人間と思う? たまたま、おまえは心の病気なだけで、それと同じなんだから」とかって言ってくれて。

キャロット
すごい理解のある人ですね。

有 園
最初に発症したときに、支えてくれた彼氏ですよね?

わいこ
はい、その彼氏です。それで、実家に帰るのはやめて、また付き合うことになったんですけど。その時はまだ、いろんな事が出来なかったんですけど、彼氏に外に連れ出してもらっているうちに、ちょっとずつ出来るようになっていったんですね。で、「人を殺したらどうしよう」っていうのも全く消えちゃって。1時間も2時間も確認するなんてことは無くなって、なんかこう、また元気になって生きてるって感じだったんですけど。

38歳のときに、年下のいとこがうつ病を患ってたんですけど、自殺しちゃったんです、突然。すごいショックで。「一緒にご飯でも食べに行こうよ」とか言ってたのに、口約束に終わっちゃって。なんかすごい罪悪感で、精神的に不安定になっちゃったんですよね。

さらに、在宅で働くことを認めてくれた上司のお母さんが、そのころ亡くなって、葬式に行かなきゃいけなくなって。それもショックだったんですけど。葬式に行こうとした時に、カギをちゃんと閉めて、何回か確認して歩きだしたら、自分の手にカギを持ってるにも関わらず、「これはニセ物で、幻で、本物のカギはカギ穴に差しっぱなしになっているんじゃないか」って思っちゃって。だけど、確認に戻る時間がなかったんで、そのまま振り切って行ったんですけど、ずっとお葬式の間中、怖くて怖くて。それがきっかけで、またガラガラガラって崩れて、もういろんな、前に解消したはずの不安が一気に出て来て。

もう最終的には、日常のありとあらゆることが確認の対象になっちゃって。道に落ちてる石ころとか葉っぱを見ただけで、「これって石とか葉っぱじゃなくって、本当は私が落としたキャッシュカードだったらどうしよう」とかって思っちゃって、その場から離れられなくなって、何度も確認しちゃって。

有 園
これね、幻視*2の人と違うのは、本当にキャッシュカードが見えるわけじゃないんですね。

わいこ
そうです。ちゃんと石に見えているんです。石だって、ちゃんとわかっているんです。

有 園
だけど、「もしかしたら大事なものだったらどうしよう」っていう、そういう疑念

わいこ
そう、疑念が沸いちゃうんです。

有 園
それと、認知行動療法だと、1人の人間の中で、行動、認知(考え)、感情、体の感覚はお互い影響し合っていると考えます。だから、感情がとても不安定になっているときに、それに影響されて、感覚も過剰に敏感になっちゃうんですよ。だから、強迫症状が出てくると、触っていないものに対しても触ったような感じがするとか、大事なものを持っていないのに、なんか大事なものを持っていたんじゃないかとか、そういう感覚や疑念みたいなものが出てきて強迫行為にいってしまう。
キャロットさんが3回目に発症したときはどうでしたか。

キャロット
そうですね。仕事の場面で「お客さんにご案内がきちんとできてたのかな」とか「私はきちんと仕事を理解できてるんだろうか」とか、そういう不安が出てきて、そこから確認行為が始まっちゃって、マニュアルを何回も見直すようになったり、あと、今までできていたことに対しても不安が出てきて、周りの人に確認するようになっちゃいました。

そういう症状が出だしてから、ささいなミスするようになっちゃったんです。事務連絡を次の人に伝えるのを忘れちゃったりとか。もうすっかり自信なくしちゃって、そういう症状が出て、わずか1カ月で逃げるように辞めちゃったんです。強迫性障害っていっても理解されないと思ったから、「うつ病」っていって、辞めちゃったんです。

有 園
それで、辞めてからどうしました?

キャロット
さらに症状が悪化しちゃって。会社を辞めると、国民年金とか国民健康保険、あと、失業保険の手続きなどに役所に行かないといけないですよね。辞めたときは「もう次は働くところがないかもしれない」とか、将来に対する不安があったからだと思うんですけど、お金に関することにすごくとらわれるようになっちゃいました。

「国民健康保険料の計算が間違って損をしてないか」と疑いをもったり、「私たち一般市民が知らないだけで、実は得する方法があるんじゃないか」とか、誰でも多少は疑問を持ったり、質問したりすると思うんですけど、私の場合は恐怖や苦痛を伴っていました。まず疑問に思ったことを紙に書き出し、そして、その関連する資料を見たりして、自分なりに調べるんですけど、そこでわからない単語が出てくると、どんどん知りたい内容が増えていってしまって。そんなことを半日とかほぼ毎日やり続けるようになっちゃったんですね。自分で手続きに行かなきゃいけないから、勇気を出して、役所に行くんだけど、役所の窓口でも30分とか1時間とか質問を繰り返すようになっちゃったんですね。役所にも何度も通ったから、多分、顔を覚えられちゃったんじゃないかっていうぐらい。もう明らかに度を超していたんですよね。頭もすごい疲労困憊で、苦しいのに止めることができない。なんでそう止められないかっていうと、きちんと確認しないと損してしまうとか、取り返しがつかなくなってしまうとか、そういう観念がありました。寝ても覚めても、年金とか保険のことが頭に浮かんできて、うつ状態もひどくなって、自殺願望が出てきちゃったんです。あまりにも苦しくて、死にたいって。自傷行為もしちゃったし、死のうとしたこともありました。

会社を辞める前から精神科には通っていたんですけど、そのときも、自分から「強迫性障害じゃないですか」って先生に聞いたら「そうだね」みたいな感じでした。治療としては、私の相談に対しての回答と、薬を飲むこと。「これはうつ状態にも効くから」って言われて、1年以上飲みましたが、私の場合、薬で楽になったっていう感覚はあまりなかったです。

それとは別にほかの精神科にも通っていたんですが、そこでは「あなたはうつじゃない」っていわれるし、「アルバイトしなさい」「働きなさい」の一点張りで。全然、気持ち、楽になれなかったんですね。

このときは、かなり症状が悪くて、本当に困りました。病院に行きながら、カウンセラーも何人か変えて、カウンセリング*3も受けました。健康保険が利かないので、相当お金も使ったんです。そこで、にっちもさっちもいかなくなっちゃって、インターネットでほかにいい方法はないかな、って探して、OCDお話会を知って連絡したんです。

有 園
キャロットさんの場合、質問が止まらなくなって、頭が疲労困憊っていう症状があったけど、体にも症状は出てきたわけですよね?

キャロット
そうです。主に頭痛ですね。何ともいえない不快な頭痛。あと、緊張がすごくって、頭が真っ白になっちゃって、貧血起こして倒れたこともあります。心臓ドキドキもあったかな。

わいこ
私も身体症状はすごくありました。たとえば、「キャッシュカードとか忘れるんじゃないか」とか思って、ATMが使えなくなったんですけど、そのうちに、銀行の前を通るだけで、心臓がバクバクして、あと、呼吸が荒くなって、過呼吸*4みたいになって、2回ぐらい倒れたことあるんですけど。手足もぐーっと震えて、しまいにはこう、ペンを持ったり、箸を持ったりしても、震えが止まらなくなって。体に力が入っているんで、肩こりとか首こりとかすごくて。

キャロット
ああ、肩こりある。

有 園
テツさんは体に違和感が出てくるとか、身体症状はありましたか。

テ ツ
違和感っていうよりは、毎日、もう体全体、体力的にも精神的にも疲れたっていう感じでした。



§3 認知行動療法 テツさんのケース

有 園
テツさん、治療についてはどんな感じでした?

テ ツ
2007年の3月に、今も通っている病院に通い始めたんですが、そこでもやっぱし、ただ、薬を飲むだけで、治っているという実感はなくて。病院かコンビニに行くぐらいで、ほとんど家から出なかったです。

ある程度、母は理解してくれましたが、父は男の40歳といえば働き盛りだという考えで、「なんで働かないんだ。なんで家でごろごろしてるんだ」って言われて。親に悪いなっていうか、やっぱり迷惑かけてるなと思って、親から自立しないといけない年齢だって反省しました。

本当に、この病気を治そうと思って、結局、1年近くたったあとに、強迫性障害について書かれた本をたまたま本屋で見つけて、それを見て、「ああ、治療には認知行動療法というのがあるんだ」と初めて知ったんですよ。⇒OCDの認知行動治療法

それで、主治医の先生に「認知行動療法をやりたい」って言ったんです。そしたら、臨床心理士の先生を紹介してくれて、次の週、まずカウンセリングから始まりました。それが2008年の7月かな。それから週に1回、カウンセリングに行くようになりました。最初、カウンセリングは、一方的に私が話をするだけ*5で、臨床心理士の先生は「うん、うん」って、「そうだよね」っていうような感じで聞くだけだったんで、「こんなんで、本当によくなるのかな」と思ったんですが、取りあえずおれにとっては、毎週、病院に行くっていうか、出かける、それがやっぱり一つの訓練みたいな感じで、病院に行くようにしてたんです。

だけど、そのカウンセリングだけだと、そんなに変わらないので、臨床心理士の先生に「認知行動療法をやりたいんです」っ言ったら、「テツさんがその気ならやりましょう」って言われました。本人が治したいからやろうっていう気持ちにならないと、行動療法はうまくいかないって言うんですよ。行動療法を始めるようになったのが、カウンセリングを始めて、7カ月後でした。

認知行動療法を始める前に、最初にやったのは、朝起きたときから、夜寝るまでの間の強迫観念と強迫行為を、家の中にいるときと外出したとき、それぞれ何をしたかを箇条書きにしました。次の週のカウンセリングのときに持っていきました。それをもとに、不安階層表を作るんですが、その前に、なぜ強迫観念から強迫行為をするのかと、それらが悪循環になっているかという勉強を、2時間かけてやりました。いわゆる心理教育っていうのをやったんですね。そこで、強迫性障害について、もう一度勉強しました。

それで、不安階層表を作って、SUD*6の低いものから挑戦していきました。自分では本当にできるのかっていう、やっぱり不安になったんですけど、最初、SUD10の机の上の黒いものに触るっていうものについては、最初、先生と一緒に病院のなかを歩いて、先生が触ってみて、「じゃあ、テツさん、触ってください」っていうようなかたちで始めました。

わいこ
私の時もそうでした。先生が実際に便器に手を突っ込んだりして、お手本を見せてくれた。

有 園
モデリングっていうんですね。

テ ツ
「自宅でもやっていきましょう」という話になり、取りあえず毎週1つか2つぐらいの課題が出されました。たとえば床の黒いところを触るっていうような課題を、1週間分、日にちと時間を、曝露直後から3分、5分、10分、20分、30分、1時間、2時間とモニタリング*7できるようにした用紙を先生が作ってくれて、それを必ず毎日、記入しました。あと、その間の感想も記入します。感想って大体「最初はものすごい勇気が要ったけど、触れてうれしかった」とか、「時間がたつにつれて、『ああ、下がっていく』って、だんだん実感できるようになった」とかですね。先生も気づいたこととか、アドバイスをくれたりしました。

曝露直後SUDが高いと、何もする気が起こらないけれど、時間をかけてSUDが10ぐらいに下がれば、何か行動ができるって感じで、目標は20か10ぐらいに下がることでした。それを毎日やって、1つの課題について、2週間ぐらいたつと、大体、10分か20分ぐらいの短い時間でSUD10ぐらいになったりして、そういうふうに改善していくのが実感できたんですね。やっぱりSUD50の「黒い虫を触る」って課題に対しては、そんなことできるわけない! って感じだったんですけども、先生と一緒に病院のなかを歩いて黒い虫を探して、そのときはダンゴムシだったんですけど、先生もその黒い虫を触って、「汚くないから触ってごらん」って言われて、その黒い虫に触りました。その時点から、SUDをモニタリングしたんですけども、病院を出て、お昼御飯を食べるまでは「絶対に手を洗ってはいけません」と言われました。「早くレストランに着いてくれ!」って感じでした。

挑戦する課題のSUDのレベルをだんだん上げていくんですけども、正直言うと、やっぱりつらかったですね。本当にもうやめたいと思ったんですけども、どうしても自分の今の症状を治したいっていう気持ちのほうが強かった。とにかく続けようっていう気持ちのほうが強かったんです。

SUDが100のゴキブリの出たところを触る。それが達成できたのは、1年ちょっとかかりました。認知行動療法をやった当初はつらかったですけども、100%のところを達成できた喜びのほうのが、やっぱり大きかったですね。

なんでこの治療が達成できたのかっていうと、1つは信頼できる先生に出会えたっていうのが大きいと思うんですね。若い先生だったんで、本当に強迫性障害について、認知行動療法をやったことがあるのかなっていう不安が最初はあったんですけども、先生も、一生懸命、勉強してくれるのが感じられたんですよね。「先生が自分のために頑張ってくれているんだから、おれも頑張んなくちゃ」っていう気にもなったし。

わいこ
私も全く一緒です。

テ ツ
もちろん親が心配しているから、治さなくちゃという気持ちにもなったし、あとは、先ほど話した異動する前の局長と奥さんが、郵便局を辞めてからもずっと心配してくれて、メールをくれたりとか、ご飯に誘ってくれたりとかしました。局長と奥さんは、私の病気についても、真剣に相談に乗ってくれて。しかも、局長の奥さんは、私がこういった病気になったことについて、「テツ君、ごめんね」って、泣いて謝ってくれたんですよ。

局長は私の仕事ぶりを認めてくれて、栄転というかたちで異動させてくれたんだから、悪い気持ちなんかもっていませんって話しましたが、異動がきっかけで発症したから私に悪いと思っていたんですね。今でも2人で泣いたことが忘れられないんです。あと、予備校のときの友だちが、ゴキブリが汚いとかそういったことも、真剣になって聞いてくれて、「いつでもテツが会いたいっていうときは、電話してくれれば会いに来てやるから」って、たった1人だけだったんですけども、そういう友だちがいてくれた。本当にそういう人たちがいてくれたから、自分は本当に治そうっていう気持ちになれた。こういったのはやっぱし大きかったなと思います。

わいこ
なんかもらい泣きをしてしまった、思わず。

テ ツ
なんか局長の奥さんのことを思い出すと、涙が出るんです。


⇒次回「症状が改善し、自分の生活を取り戻す」に続く

*注釈

*1
トリガー――英語で銃の引き金、何かを引き起こすきっかけの意味。OCDでは、強迫観念、強迫行為を引き起こしそうな状況に出会うことを示す。例えば、汚れによって強迫症状が生じる人が、汚れに触れたような気がしたときや、戸締りの確認で強迫症状が生じる人が戸締りの場面に出会うこと。認知行動療法では(先行)刺激とも言う。[1]
*2
幻視――実際には存在しないものが、存在しているように見えてしまう幻覚。アルコール障害、薬物関連障害、統合失調症などで生じ、妄想、強い不安、精神的な興奮を伴うこともある。[2]
*3
カウンセリング――さまざまな職業で、広く専門的な技術を用いた相談・支援の意味で使われるが、精神科では、精神医学、心理学に基づいて問題となる症状を改善するための相談、支援を示す言葉として使われる。精神科医、心理士が行い、カウンセリングの中で、認知行動療法のような精神(心理)療法や心理検査を行う場合もある。医療機関で行うものでも健康保険が利用できるものとできないものがあり、医療機関以外で、開業している心理士、カウンセラーの場合、健康保険が利用できない。
*4
過呼吸――過換気とも言う。体が必要としているよりも速く呼吸してしまうこと。ストレスに過剰にさらされたり、恐怖感を抱いているときに生じ、めまい、息切れ、胸苦しさなどのパニック発作に似た身体症状を引き起こすことがある。[3]
*5
「一方的に私が話をするだけ」――来談者中心療法、支持療法などと呼ばれる心理療法の技法。クライアントが、自分の問題を話し、それをカウンセラーが受容的な態度で聞くことによって、クライアントが自ら問題点に気づいたり、自信を得たりするもの。日本では、この技法を取り入れたカウンセリングが多いが、これだけでは一般的な強迫性障害への根本的な治療法にはならない。
*6
SUD――主観的不安尺度(主観的不快尺度ともいう)のこと。最も自分が苦痛に感じるときを100点、まったく苦痛のないときを0点として、それに比べて今の苦痛は何点に感じるかを主観で表した点数。
*7
モニタリング――状況の変化を観察すること。強迫性障害の認知行動療法では、どのような症状か、治療中の症状の変化などを観察し、それを記録したものを治療者と一緒に検証する方法がよく用いられる。


*参考

[1]
原田誠一[編]「強迫性障害ハンドブック」金剛出版2006年
[2]
上野武治、太田保之[編著]「学生のための精神医学第2版」医師薬出版株式会社2006年
[3]
マーティン・M・アンソニー、ランディ・E・マッケイブ[著]「きっと上手くいく10の解決法シリーズ パニック」創元社2010年