トップOCDコラム > 第85回
OCDコラム

OCDコラム

マクベス夫人に見られた強迫的手洗い行為
シェイクスピアが描いたOCD

シェイクスピアの戯曲『マクベス』では、主人公マクベスの妻が、強迫的に手を洗う場面が描かれています。手を洗う行為は、王の暗殺をきっかけに現れるようになります。その場面は、現代のOCDの研究者によって、精神的汚染を打ち消すための強迫行為の例として、取り上げられることがあります。
OCDでは、実際の物質による汚れに限らず、目に見えない汚れ、精神的なけがれに対しても取り除きたくなることがあります。たとえば、嫌な人が触ったもの、嫌な出来事を連想させるものも、汚れているように感じて、触ると洗いたくなる人がいます。今回のコラムでは、そのような精神的汚染について紹介します。


目次
§1 夜ごと手を洗うマクベス夫人
§2 精神的汚染とは
§3 好ましくない人が汚れて見える
§4 マクベスの時代には治療法がなかったけれど


§1 夜ごと手を洗うマクベス夫人

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616年)は、戯曲や詩を創作し、『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』など多くの傑作を世に残しました。
『マクベス』[1]は、シェイクスピアの作品のなかでも四大悲劇といわれるもので、11世紀に実在したスコットランドの王様マクベスをモデルにした戯曲です。

物語は、マクベスが、スコットランドの王様ダンカンに仕える武将の一人であった頃から始まります。マクベス将軍は、魔女の口から、「将来、王になる」という予言を聞き、自らが王位に就く欲望に目覚め、その後マクベス夫人の働きかけによって、主君であるダンカン王を暗殺し、王位を手に入れます。

マクベスと夫人は、短剣で王を刺したとき、思いがけずに大量に流れ出た血が手に付いてしまいます。そのときは、マクベス夫人も、「ちょっと水をかければ、きれいに消えてしまう」と思っていたのですが……。

王の座を手に入れたものの、マクベスは、王位を失うことへの不安からさらに罪を重ねていきます。やがて、夫人は毎晩、夢遊病者のように歩きだし、眠ったまま、手を洗う行為をするようになりました。

ある夜、マクベス夫人の病状を診に来た侍医に、夫人の侍女は次のように話します。

侍医  何をしておられるのだ? それ、手をこすり合せておいでになる。



侍女  いつもあんなことをなさいます、きっと手を洗っておいでなのでございましょう、いつもですと、このまま十五分くらい。



マクベス夫人は、手をこすりながら、次のように話しています。

夫人  まあ、どうしてきれいにならないのかしら、この手は? もうたくさん、あなた、もうたくさんです。



夫人  まだ、ここに、しみが。



夫人  消えてしまえ、呪わしいしみ! 早く消えろというのに! 一つ、二つ、おや、もう時間だ。地獄って、なんて陰気なのだろう!



夫人  まだ血の臭いがする、アラビアの香料をみんな振りかけても、この小さな手に甘い香りを添えることは出来はしない。ああ! ああ! ああ!



夫人は、暗殺の際に流れ出た血を思い出し、そのしみや臭いが残っているような気がして、取り除きたい思いに駆られているのです。そして、手を洗うのですが、夫人の意に反して、思いはなかなか解消できず、しつこくつきまといます。この様子は、強迫観念と強迫行為との関係によく似ています。

戯曲では、マクベス夫人は、このような行為の間、目は開いているが実は眠ったままで、しかも、ろうそくを持って歩くという行動もします。そのため、OCDであったと断定できるものではありません。しかし、シェイクスピアの時代にも、このように手を過剰に洗う症状で悩んでいた人がいたであろうことが想像できます。また、シェイクスピアの作品は、人間心理の観察描写が優れていることでも知られていますが、手を洗う場面でも、夫人がつぶやく短いセリフの中に、精神的な苦悩がうまく描かれています。


§2 精神的汚染とは

マクベス夫人は、夢遊病者のように歩き、手を洗っていましたが、実際に血はついていません。それでも、目には見えない血のしみや臭いが手に残っているような感じがして、洗わずにはいられなかったのです。

現代のOCDの患者さんでも、およそ半分の方に、汚れや汚染が気になって、手や体を過剰に洗うといった症状がみられます。[2] スタンレイ・ラックマンは、汚染に対する強迫症状には、次のような接触汚染と精神的汚染とがあると提案しています。[3]

接触汚染――汚れや病気を伝染させる有害な物質に、体の一部が触れたことで強迫症状が生じるものです。皮膚、特に手で感じることが多いようです。

精神的汚染――汚染されたものに体の一部分も触れていないのに、精神的に汚れたと感じるものです。主な汚染源は、特定の人です。そして、嫌悪、恐れ、怒り、恥、罪悪、反感といった不快な感情を伴います。そのような不快な感情を打ち消したり、避けたりするために、強迫行為をしてしまいます。

精神的汚染と接触汚染は重複する場合もあります。精神的汚染の人でも、本人が汚れていると感じるものに、わずかに接触した、もしくは間接的に触れたことによって強迫症状が引き起こされることがあります。

また、精神的汚染では、精神的に嫌な出来事を体験することによって、強迫症状を引き起こしたり、強迫症状が悪化したりすることがあります。精神的に嫌な出来事とは、他人から侮辱される、非難される、あるいは暴力や虐待のような実際の体験であっても精神的な苦痛を伴うものや、その体験を思い出すことで苦痛が感じられるもの、自分にとって受け入れがたい考えや情報に出会うなどの場合があります。マクベス夫人は、暗殺の被害者ではなく加害者ですが、その出来事の記憶が思い出されることで、精神的な苦痛が生じ、手を洗う行為に影響していきました。

さらに、このような精神的に嫌な出来事やそれに関わる人につながるものが、二次的な汚染源となってしまうことがあります。そのようなものに触ると、嫌な出来事を思い出し、自分まで嫌なものに汚染されてしまいそうな感じがして、手を洗ったり、拭き取ったりという強迫行為をしたくなります。そのため、他人から見れば、まったく汚染の危険は考えられないものでも、患者さんにとっては、汚染の危険があると感じてしまうのです。


§3 好ましくない人が汚れて見える

不潔・汚染への強迫観念がある人のなかには、特定の人が汚れていると感じてしまうことがあります。

特定の人が強迫対象になる例
・家族のだれか(例 お父さん、おばあちゃんなど)
・職場や学校のだれか(例 嫌な上司、いじめっ子、何らかのハラスメントをした人など)
・道路や電車で見かけた不潔そうに見える人、嫌な行為をしている人
(例 道に落ちた物を拾って平気で使っている人、痰を吐いた人など)

このように特定の人が、いったん、強迫症状を引き起こす存在になると、それ以後、対象の人だけでなく、同じようなタイプの人まで避けたくなったり、その人が触った場所、その人を連想してしまう場所まで関わりたくないと思うこともあります。
また、精神的汚染では、強迫症状を引き起こす人が不潔かどうかにかかわらず、いじめられたり、何度も怒られたり、事件や暴力に巻き込まれそうになるなど、嫌な思いをさせられる、嫌な記憶を思い起こさせる人が対象となることもあります。

たとえば、子どもの場合、いじめられた経験から、自分をいじめた人や出来事に関連するものを汚れていると感じることがあります。そのいじめっ子の外見が汚れていたとは限りません。外見上の汚れがあるかないかに関わらず、その子どもには、いじめっ子が触っていたものや、彼や彼女を思い出させる場所に汚れが移っているように感じられるのです。

本人に、その汚れがどのようなものかとたずねても、単に汚れだと思っている程度で、汚れに対して具体性がないこともよくあります。ですが、洗って除去しないと、他のものに汚れが広がっていきそうで嫌な感じがしてならないのです。このような症状がある人のなかには、手を洗う強迫行為があっても、排泄物やバイ菌、有害物質などについては、強迫観念が出ないので平気という人もいます。また、このような症状は、子どもに限ったことではなく、大人でも抱えている人がいます。


§4 マクベスの時代には治療法がなかったけれど

マクベス夫人の侍医は、夫人の症状を診た後、次のようにいいます。

侍医  この病気は、わしの力のおよばぬものだ。



侍医  忌まわしい流言がひろがっている。不自然な行為は不自然な煩いを生むものだ。
(中略)お妃には、医者より僧侶が必要だ。



また、後日、夫人の病状を侍医から聞いたマクベスは侍医に向かって次のようにいいます。

マクベス  それを治してくれぬか、心の病いは、医者にはどうにもならぬのか?
(中略)心を押しつぶす重い危険な石をとりのぞき、胸も晴れ晴れと、
人を甘美な忘卻の床に寝かしつける、そういう薬はないというのか?



この物語の時代設定となったのは11世紀ですから、夫人の病気を治せないと医師が思うのも無理はありません。一方、夫であるマクベスが、妻の病気を治してくれと医師に薬を求める気持ちは、現代のOCDの患者さんの家族にも共通すると思います。

残念ながら、マクベスの時代には、そのような薬はありませんでしたが、千年たった現在では、OCDの症状である手洗い行為に対して、薬物療法や認知行動療法などの治療効果が確認されています。そして、精神的汚染のようなOCD症状に対しても、徐々に研究が進んでいます。

バイ菌、有害物質、放射線のようなものならば、一般の人でも、目に見えない汚染に、危険を感じ、不安に思うことがあります。しかし、精神的汚染は、そのような誰もが有害と認識するものとは違い、患者さんの主観で汚れていると感じるものであるため、症状を他人にわかってもらうことが難しいと精神的汚染の症状に悩んでいる人たちは感じやすいようです。

そのため、患者さんは、そのようなことを考えていることがほかの人に知られたら、たとえそれが医師などの専門家であっても、変に思われないかとか自分の考えを否定されはしないかと心配することがあるそうです。

また、今回のコラムで紹介したラックマンの精神的汚染という考え方は、精神・心理の専門家でも、まだあまり知られていません。

しかし、このような強迫症状で苦しむ患者さんは、決して珍しくはありません。ですから、いろいろと心配なことが考えられても、専門家を探して相談することが改善への第一歩だろうと思うのです。

マクベス夫人が、もし現代に生まれていたら、シェイクスピアが書いた悲劇とは違った結末になったかもしれませんね。



*引用・参考
[1] シェイクスピア[著]、福田恆存[訳]『マクベス』新潮文庫1969年
[2] 原田誠一[編]『強迫性障害治療ハンドブック』金剛出版2006年、p19
[3] スタンレイ・ラックマン[著]、作田勉[監訳]『汚染恐怖(不潔恐怖)-強迫性障害の評価と治療』世論時報社2010年