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OCDコラム

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OCD体験者座談会2010
第1回 発症から初めての受診まで


本サイトでは、2007年にもOCD体験者の座談会を行いました。
今回、座談会にご登場いただくのは、医療機関で専門的な治療を受け、さらにご自分の努力で、症状が大きく改善した方々です。
3名の方々は、どうやって改善してきたのでしょうか。
座談会の様子を3回に分けてお送りします。第1回は、皆さんが発症した頃のお話です。参考になることもたくさんあると思います。


司     会●有園正俊さん (49歳・男性・東京都 OCDお話会主宰、精神保健福祉士)
OCDコラム第23回に登場
参 加 者ふみさん  (30歳・男性・茨城県)
チョコさん (31歳・女性・埼玉県 東京OCDの会世話人)
よりりさん (48歳・女性・東京都)


!注意
お話のなかに出てくる出来事は、それぞれの方の実体験に基づいたものです。
医療の現状につきましては、時代や地域の違いにより、状況が異なる場合があります。
症状への対処法については、それぞれの方で条件が違いますので、誰にでも応用ができるものではありませんし、決して自己流の判断を推奨するものでもありません。その点にご留意の上、
お読みください。


■仕事で確認が増えたふみさん

司会の有園正俊さん:精神保健福祉士になる前はイラストレーターとして生計を立てていました。今コラムのイラストも有園さん制作のもの。 司会の有園正俊さん:精神保健福祉士になる前はイラストレーターとして生計を立てていました。今コラムのイラストも有園さん制作のもの。

  有園  今回、参加いただく皆さんは、OCDを体験して、治療も経験しています。それぞれまだ治っていない部分や、再発の心配などもあるかもしれませんが、読者の皆さんに参考になることも多いと思いますので、治療経験なども具体的に聞かせてください。それから、OCDは治療が軌道にのるまでがけっこう大変な病気なので、いろいろなご苦労があったかと思います。そういうお話も聞かせていただければと思います。最初に、自己紹介からお願いします。ふみさんから。


ふみさん:蕎麦・ラーメンなど麺類が好きというふみさんが、いま興味をもっているのはダイエット。ダンスとか踊れたら、かっこいいなあと思っているそうです。
ふみさん:最近、健康に気をつけているふみさん。カラオケでストレスを発散したり、ウオーキングをしたりと体調を管理しているそうです。

  ふみ  ふみと申します。年齢は30歳です。僕は確認と、加害恐怖(注1)と不潔恐怖の3種類がありました。病気になったのは仕事をしていた頃で、4年半ぐらい前です。大学を卒業して2年2カ月仕事をしたんですけど、ミスを何度もしたんです。それで毎日怒られて、自分は仕事を覚えるのが下手だなあ、なんでだろう、と思っていました。
なんとか工夫しながらやっていたんですけど、なかなか自分のスキルが追いついていかず、これではまずいと思って、ミスをしないように、確認をするようになりました。僕はもともとプレッシャーに弱く、怒られるとおじけづいてしまうところがありましたので、怒られないように、2度、3度とチェックをしました。
コンピュータでやるお金の計算をミスしてしまったとき、上司に、「なんでこういう重要なところで間違えるんだ」と言われたことがあり、それからは、会社に損害を与えるかもしれないという意識が出てしまって、プレッシャーがさらに強まりました。
その後、部署が変わって、心機一転やろうと思い、最初は先輩にも「がんばっているじゃないか」と言われ、この部署だったらやっていけるかなと思ったんですけど、だんだん確認が多くなって、間違いも出てきて、先輩が僕の仕事を二重にチェックするようになったんですね。一生懸命やったつもりだったんですけど、先輩が3時間ぐらいでできるものを、僕は6時間とか7時間かかってしまう。仕事の順番を書き出して、その紙をデスクに載せてやっていたのに、それでもうまくいかず、最終的には、仕事を片付けるのに、夜の12時頃までかかってしまいました。上司も呆れてしまって、「辞めたほうがいいんじゃないか」と言われました。
その頃、会社を出るのは僕が最後になりますから、事務所の鍵を閉めるんですね。そのときにちゃんと閉めたかどうか、ドアの確認も始まったんです。眠る時間も少なくなったし、仕事のプレッシャーもかかって、人間関係もあまりうまくいかなかくて、何重もの苦しさがありました。
そんな頃、夜、駐車場から車で家に帰ろうとしたときに、「何かにぶつかったかな」と思ったんです。ちょっと確認しようと思って、一周したんですよ。その日は一周で済んだんですが、そのうちに、200mぐらいの敷地を5周、10周と回っても、気になってしようがない。確認するたびに、自分が猫か何かを轢いたんじゃないか、と思えて。
最後の半年ぐらいは、帰宅すると、親からなぜこんなに遅いんだと言われるので、親に会いたくなくて、駐車場に車を止めて、ラジオを聴きながら車の中で寝ていました。朝6時ぐらいに家の風呂場に行ってシャワーを浴び、それからまた会社に向かうという日々が続いたんです。本当に会社が苦痛で。部長からは、「お前どうもおかしいぞ、病院に行ったら」と言われました。僕は能力的なことだと思っていたんですが、もしかしたら何かほかに問題があるのかもしれないと思って、東京にある精神科の病院に行ったんです。
そこで、日々の行動について話したら、「あなたは強迫性障害ですね」と言われました。僕はそのとき、正直、うれしかったんですよ。ああ、僕のこの変な苦しみは、病気なんだ。心の病気だったら、なんとか時間が解決してくれるだろうと。でも、もう会社にいられる状態ではなかったので、親に、病院からもこういう病名を言われたので、辞めさせてくれと頼みました。親父がそれなら仕方ないと言ってくれて、会社を辞めたんです。

   有園  会社に勤めるまではそういうことはなかったんですか。



  ふみ  確認の癖は、高校生のときにもありました。火の元を確認したり、鍵閉めとガスをチェックするのに時間がかかって、遅刻することが何度もありました。今では笑い話なんですけど、大学のときにアパートで一人暮らしをしていたのですが、ドアが閉まっているか何度もチェックしていたら、ドアがはずれてしまったこともあります。




■不衛生な職場で懸命になったチョコさん

   有園  では、チョコさん。


チョコさん:大のチョコレート好き。最近は、心理・コミュニケーションに関するセミナーに参加して、「いろんな人に出会うことがたのしい」というチョコさんです。
チョコさん:大のチョコレート好き。最近は、心理・コミュニケーションに関するセミナーに参加して、「いろんな人に出会うことがたのしい」というチョコさんです。

チョコ  チョコと申します。31歳です。病気に気がついたのは、26か27歳のとき、パン屋で働いていたときでした。おもに加害が根本にある不潔恐怖、感染恐怖の症状でした。食品を扱っているので、仕事上の責任感で、食べ物に衛生面での問題がないようにと意識して。
最初は確認の症状でした。パンの生地の分量は、毎回秤で量るのですが、すべての分量が気になり、それ以外のチョコレートやあんこなどにも毎回毎回、秤を使っていたんです。誤差が2~3グラムぐらいならいいんですけど、多すぎたらお店の損害になるし、少なすぎたらお客さんに申し訳ないと思って一生懸命になってやっていたら、あまりのひどさに秤を取り上げられてしまって(苦笑)。もうやるな、と。それが治まったと思ったら、レタスをきれいにゆすぐのに時間がかかりはじめて、ひどくなっていきました。
その職場は、ハエが飛んでいるようなところで、ハエがとまったところを布巾で拭いたら、ハエの汚れがつくと思って、布巾を折り返してなんとかしていたんですけど、それでは足りなくなって、タオルを家から持って行ったりしていました。汚れが気になり、私はハエが止まったパンを店に出さないで、いちいち捨てたくなり、そこでも職場の人ともめていました。

   有園  そのときは、まだ病名は知らなかったんですね。



チョコ  全然知りませんでした。



   有園  自分で、どこかおかしいと思いました?



チョコ  おかしいという感じはありました。自分でもしんどかったです。秤のほうは、1回だけと約束をして、がんばってそれを守ろうとしたら治まってきましたけど、不潔恐怖のほうはダメでした。レタスを洗うのも、普通の人はざっと済ませるのを、15分ぐらい洗っていたと思います。それで背中が痛くなって。レタスを洗うのは次の日の準備なので、早く終わらせて帰りたいのに、帰れないんです。



   有園  ほかの人は何か言っていました?



チョコ  一緒に働いている人からの圧力がすごかったです。「まだできてないの」とか、仕事上のいじめみたいな感じになってきて。私は自分が悪いと思っているのだけど、かといって、量ることや衛生に気をつけるのをやめることもできないので、いたたまれない感じでした。



   有園  強迫性障害の人は、自分なりのやり方で清潔への欲求がどんどん激しくなっていきますが、食品を製造するところだと、もともと日常とは衛生基準が違うわけですね。だから、きれいにしないといけないという意識が出てきてしまうのも、状況からいって自然な流れだったかなと思います。



チョコ  でも、周りの人はそうじゃなくて、床に落とした段ボールも、パンの生地をこねるところに平気で載せるんです。私はそれも気になっていました。



   有園  パン屋さんに勤める前は、そういう強迫的な症状はあまりなかったんですか。

チョコ  いえ、ありました。子どものころ、プールの床がぬるぬるしているのが嫌だったり、大学卒業後、バイトもしないで家にいたときには、自分が頭の中で大事だと思ったことや気づいたこと、考えたことなどをメモしないではいられない強迫に陥ってしまったこともありました。そのときも、家族にはちょっとおかしがられていましたが、その衝動は、バイトを始めたら、いつの間にかなくなっていました。




■多忙な生活のなかで発症したよりりさん

   有園  次はよりりさん。


よりりさん:SMAPの木村拓哉さん、関ジャニ∞の丸山隆平さんが好きなよりりさんが、いま興味をもっているのはインテリア雑貨。
よりりさん:SMAPの木村拓哉さん、関ジャニ∞の丸山隆平さんを好きなよりりさんが、いま興味をもっているのはインテリア雑貨。

よりり  よりりと申します。年齢は、48歳です。この病気になったのは、2000年ぐらいだったと思います。前年にマンションを購入しまして、その年の年末に引っ越しをしました。前年から翌年にかけて、おかしな行動が始まったと記憶しています。出かけるときに、窓と玄関の鍵の確認、ガスの元栓や水道の蛇口、電気製品の電源とコンセントなど、異常に確認をしだしました。これはおかしいと思って、2000年の10月に、メンタルクリニックに自分から行きました。電話帳か何かで調べて、家の近くにあるクリニックを探しました。



   有園  このときは確認だけだったんですね。発症のきっかけとして思い当たるのは、引っ越しぐらいですか?



よりり  いろいろありました。引っ越しも引き金のひとつだと思います。そのほかに、母の他界もありましたし、火事がたびたび起きました。自分でぼやを出したとき、火を避けていなかったら火だるまになっていた、というようなこともありました。私は主婦ですが、仕事もしていまして、大型スーパーの食品売り場のレジを約10年間やっていました。家事と育児と仕事。そのほかに、子どもの塾と習い事の送り迎え。習い事の発表会があるときは衣装を作ったりしていました。夫は育児も家事も、とてもよく手伝ってくれましたが、私が自分自身だけに戻れる時間をもてない日々が長年続いて過ごしてきました。
それから、義父が他界したあと、義母が一人で暮らしていました。何年間にもわたり、実家に戻ってきてくれと言われても、私は絶対に戻りたくない気持ちがありました。結婚当初は夫の実家に二世帯住宅で住んでいましたが、適応できなくて、半年間で出てきました。私自身がマイナス思考になり、このままでは自分がだめになると気がついたので、そのとき妊娠5カ月でしたが、自分で賃貸マンションを探して、夫を連れて家を出ました。いろいろな過去が積み重なって、時間だけが過ぎていきました。忙しすぎた毎日のなかで起きた出来事だったので、心に受けた傷に対してケアをしなかったのも、発症の原因だったと思います。次から次へとやらなければいけないことが出てきて、自分のことは二の次でした。だから発症したのかなと思います。



   有園  チョコさんは、パン屋の仕事はアルバイトだったんですか。本当は、ほかにもっとやりたいことがあったとか?



チョコ  とりあえず、採用してもらったからという感じです。



   有園  ふみさんの場合は、自分で志望して勤めた会社ですか。



  ふみ  そうです。



   有園  入ってみて、仕事が思っていたのと違うとか感じました?



  ふみ  そうですね。貿易事務の仕事をしていたんですが、僕は日本経済の一翼を担うみたいな理想があったんですけど、仕事をしてみると普通の事務で、何が楽しいのかわからないというのはありました。



   有園  なぜこんなことを聞いたかというと、OCDは、これだけが原因と決めつけることはできないのですが、何らかのストレスに長期間さらされたり、無理のある生活をしていることがきっかけで発症する人が多いといわれているんです。




■初めての受診

   有園  チョコさんの場合、どの辺でOCDと気づいたんですか。



チョコ  クリニックに受診する3カ月ぐらい前です。



   有園  受診する前に、インターネットか何かで調べて、OCDでは? と思ったんですね。



チョコ  はい、調べました。強迫行為というのを読んで、ああ、これかもしれないと。



   有園  お医者さんに行くのは勇気がいりました?



チョコ  勇気がいりました。ひどくなって、自分が倒れそうになって、やっと行けたという感じです。私が少しおかしかったときに、最初に気付いたのが妹で、でも私は、家族には知られたくなかったんです。冬に、こたつに入れなくなっちゃったんですよ。家のなかではスリッパの上だけに立って、椅子にも座れなかったので、「お姉ちゃんおかしい」と言われて。



   有園  最初のお医者さんはどうやってみつけましたか。



チョコ  妹が、私より前に通っていたお医者さんです。

   有園  なるほど。いつ頃受診したんですか。



チョコ  2006年の2月です。病院にはビニール手袋をして行きました。ビニール手袋の上からさらに手を洗っていた頃で、母と一緒にようやく行ったんです。



   有園  そこでOCDと診断されたわけですね。



チョコ  「あなたもわかっていると思うけど」と言われて、「はい」と。すぐ診断が出ました。こんなに簡単なの、と思いました。自分のなかでは、ただ、きれいが追いつかないと思っていたんです。きれいにしたいのに、それが自分の手では追いつかない。汚いと思うものがどんどん増えていくという感じでした。



   有園  よりりさんは、最初のクリニックでOCDと診断されたんですか。



よりり  はい。はっきりとは覚えていませんが、OCDと診断されたと記憶しています。10年前のことです。まだ治療方法が確立されていなかったからだと思いますが、お医者さんから「これは治らない病気だ」といわれたんです。「治らない。だけど、生きていける」というんです(苦笑)。治療しようと必死の思いで行ったのに、治らないといわれて、ガクッときました。ああ治らないんだ、と気持ちが萎えてしまいました。その後、同じクリニックで別の先生に変えていただいたのですが、その先生は、話を聴くばかりで、答えてはくれないんです。2003年の8月頃、同じクリニックで、今の先生に出会えました。その先生の治療は、どちらかというとディスカッション的な感じなんです。親身に接していただいて、信頼がもてました。だから、だんだんとよくなっていったんじゃないかと思います。2005年にパソコンを買いまして、インターネットを見て、同じ病気で治った方がいるというのを知って、それが励みになって、今につながっています。



   有園  最初のお医者さんは、お薬は処方してくれなかったんですか。



よりり  あんまり覚えていないんです。たぶん、飲まなかったように記憶しています。当時は本当に治療法がなかったのかもしれませんね。



   有園  このサイトを主催しているOCD研究会というのは、約10年前に始まったんですね(⇒第59回コラム)。新しい治療法が確立してきたので、それを広めようということで研究会を作られたのだそうで、一般の精神科医では、こうした対応もある程度しようがないかもしれません。



よりり  でも、治らないなんて言っちゃだめですよね。



   有園  ある意味で正直といえば正直ですけど……。でも、今日お集まりの皆さんは実際に症状が改善していますもんね。




■仕事を辞めたあとに症状が悪化

   有園  チョコさんは、最初のクリニックを受診した後に仕事を辞めたんですね。



チョコ  そうです。自分自身で限界を感じて、休みの願いを出していたのですが、辞めるとなると職場の人に申し訳なく、責められる気持ちがありました。ですが、その休みの間、一日だけ、頼まれて出勤しようとしたことがあって、明日もがんばって仕事に行くと言っていたんですけど、あんまり私の状態がひどいので、バイトに行かせないように父が私を説得してきました。夜中の長い話し合いの末、準備して出かける時間もなくなり、私も、それ以上はがんばることもできず、そこでようやく、バイトに行かないという決断をすることができました。
そのときは、がんばって仕事に行く必要がなくなったので、ホッとしました。そして、休んでいる間に、ずるずると強迫の世界に入っていき、ますます悪化した私は、その後、クリニックの先生にもお墨付きをもらって、やっと仕事を辞めることができました。自分でも、よくあんなにギリギリまでがんばっていたものだと思います。
パン屋を辞めて、体は楽になったんですけど、強迫のほうは、それまで家族には隠していたのが表面化したので、家族も驚いてしまいました。それで、汚れがあると思ったところに私が新聞を敷いていたのを、父が見かねて手伝ってくれるようになったんです。私は、アルコールティッシュも欲しいし、ビニール手袋も欲しい、何もかも足りないと大騒ぎして、新聞も1カ月分ぐらいすぐになくなってしまうぐらいに敷きまくっていました。



   有園  よりりさんは、最初のクリニックに行った頃は確認の症状だけで、その後に、痰が嫌だとか、不潔恐怖の症状が出てきたんですね。



チョコ  痰がありそうなのも嫌だったんですか。実際には、痰ってなかなかないのでは?



よりり  それが、あったんです。私、うっかり、お気に入りのバッグを地面に落としてしまったんです。そうしたら、そこに他人の痰がありました。バッグに痰がついてしまって、それから痰が恐怖になりました。そのほかにも、職場で、お客さんがレジで支払いを済ませてから買った物を詰める台の下に、ゴミ箱がありますよね。そこに痰を吐く人がいたんです。そのゴミを、私たちレジの担当者が片付けなくてはいけない。それがだんだん苦痛になってきたんです。
もう、ゴミ当番が回ってくるのがすごく嫌で、恐怖でした。ゴミを素手で片付ける人もいましたが、私は、ゴミを持つときは炊事用の手袋をはめて、その上に透明のビニール手袋をつけてやっていました。終わったら手を手首の辺りまで洗って、だんだんひじぐらいまで洗うようになっていきました。それで、もうこの仕事は耐えられないと思って、辞めてしまいました。



   有園  辞めた後はどうでした? 不潔恐怖の症状が治まったわけではないでしょう。



よりり  はい。かえって、どんどん泥沼に陥ってしまいました。今度は家の中で症状が出てきて、外から持ち込んだものは全部汚いと思って、外に出られなくなってしまったんです。辞めてから3年間ぐらい、あまり家から出られない状態でした。



チョコ  食事はどうするんですか。



よりり  夫が仕事の帰りにスーパーで食料品を買ってきてくれまして、私が作っていました。でも、作れる料理と作れない料理がありました。痰が地面にあったので、そこからの連想で、土がだめになってしまったんですね。土がついた野菜、じゃがいもや玉ねぎに触れなくなってしまいました。じゃがいもは見るのもダメになり、玉ねぎに触るときは、ビニール手袋を二重ぐらいにはめて作っていました。



チョコ  食べるのは大丈夫なんですか。



よりり  はい、大丈夫です。家を出た人はみんな汚いと感じてしまったので、夫と娘が夕方になって家に帰ってきたら、すぐシャワーを浴びて、パジャマに着替えてもらうんです。典型的な症状ですよね。でも、自分は外に出ても、自分自身は汚くないんです、不思議なことに。



   有園  外のものはミクロの単位まで持ち込まないような感じ?



よりり  そうですね。買ってきたものは全部、除菌ティッシュで拭いたり。洗濯物も、浴室乾燥機を使って内干しです。




次回は、治療の際の苦労や、強迫症状を改善したい、克服したいと、自ら新たな病院、新たな治療法を求めていったお話を紹介します。


●注釈
*1 加害恐怖―― 自分の不注意などのために、他人に危害を与えてしまったのではないかという強迫観念。自分でも不合理な考えだといくらかは思っていて、実際にはそのようなことをしそうもない人が苦しむ。実際に危害を加えてしまいそうな衝動があって心配するのは、OCDではなく、別の精神疾患によることが多い。加害には暴力的な行為だけでなく、広い意味で他人や社会に迷惑をかけることも含まれ、不潔への不安に加害の面がある人もいる。また、現在の診断基準では、恐怖という表現は、恐怖症の場合に使われ、強迫性障害での不安には用いられなくなっている。しかしまだ、不潔恐怖、加害恐怖のような呼び方も一般には使われている。

●参考文献
中根晃/監修 広沢正孝、広沢郁子/編著 『現代の子どもの強迫性障害』岩崎学術社


【お詫びと訂正】
文章の何カ所かをご本人の了承を得ずに無断で修正し掲載いたしましたが、当初の文章に訂正させていただきました。訂正してお詫び申し上げます。