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【私のOCD体験記】 第10回 タンジェリンさん(仮名・31歳)
私が病気になった意味はあるの?



こどもの頃に強迫性障害を発病しても、普通に学校を卒業し、社会人になっていく人は多いことでしょう。日常生活に支障のない程度の症状であれば、それも充分可能だからです。
今回ご紹介するタンジェリンさん(仮名)の場合もそうでした。
周囲には“几帳面な女の子”と見られながら成長し、大人になってから、初めて強迫性障害の治療を開始しました。
いま、病気を通して、自分が生きていることの意味を考え、人とのつながりを考える。
そんな日々が続いているそうです。


目次
§1 小学生の頃に
§2 几帳面な中学生
§3 職場の変化からうつ病に
§4 強迫性障害の治療
§5 病気になったことの意味はあるの?


§1 小学生の頃に

私は現在、31歳です。私の強迫性障害は8歳の頃から始まりました。初めの頃は、教科書を順番に並べる、筆箱の中の鉛筆を長さの順番に並べるということをしていました。この行為を行いつつ、ある日突然、病的な行動が始まったのです。

初めは手洗いでした。こどもなので意味はわかりませんでしたが、何分間でも洗っていました。そして、手を洗い終わった後に、水道の蛇口を何回でも締めなおすという行動に移っていきました。それだけではありません。お風呂のふたを何分間でも押さえている、夜には窓の鍵がかかっているか何度も確認するという行為をしていました。

こども心にも自分は変わっているんだと思っていたので、家では必死に隠していました。が、私の異常な行動は母親に気づかれてしまいました。そして私は精神科の病院に連れて行かれたのです。

病院では、絵を描かされたり、箱庭のようなもので遊んだり、テストのようなものを受けました。お医者さんには自分の行動のことは言いませんでした。母は家庭環境のことなどを尋ねられ、とりあえず様子を見て、また気になる行動があるようなら連れてくるようにと言われていました。

私は8歳か9歳でしたが、こども心にも、ここは普通の病院ではないと悟って怖くなり、強迫行為を封印してしまいました。「また病院に連れて行かれたら嫌だなあ」と、思ったからです。しかし、今度は母に見つからないように、別の行動を始めました。それは、電気のスイッチの角を触ったり、確認の為に何度も点けたり消したり、机の角を触ったり、自分が触れた物に触りなおしたりという行動でした。あとは、「夜寝る前に、火の元をしっかり確認して」と親に言われたことがきっかけで、何度も火の元を確認するようになりました。



§2 几帳面な中学生

これらの行動は、大きくなるにつれて薄らいでいきました。小学校高学年、中学生の頃には、比較的治まっていましたが、中学生の頃は、鉛筆を長さの順番に並べたり、かばんの中に教科書とノートを入れるときは、それぞれ時間割の順に並べないと気がすまないので、準備に時間がかかっていました。

プリントもきっちり端を合わせて2つ折りにしないとだめで、何事も適当にすませることができませんでした。掃除なども、先生が見ていなくてもきちんとやっていたので、周りには几帳面な生徒と見られ、学級委員もやったことがあります。

しかし、高校に入り、今度は、制服のスカーフの端の長さをそろえるなど対称性へのこだわりと、強迫観念による心の強迫行為が始まったのです。不吉なことやけがわらしい言葉が思い浮かぶと、自分で作り上げた別の言葉に言い換えるというものです。これはとてもしんどいもので、私が現在も最も悩まされている症状のひとつです。

そして、短大に入り、今度はロッカーでの確認行為が始まりました。ロッカーに教科書や本を入れるのに、きちんと端をロッカーの隅に合わせて、順番に積み重ねないといけないので、周囲の友達に隠すのにとても苦労しました。この頃には、現在の症状のほとんどが出来上がっていました。

短大での専攻は英米文学で、大学に編入し、一人暮らしを始めることになりました。たまに実家に帰るときは、炊飯器のスイッチを切ったか、あらゆる電化製品のコンセントを抜いたかという確認に時間がかかり、ありとあらゆる確認、強迫行動をしていました。たとえばカーペットはコロコロローラーでごみを取るのですが、端から順番に、きっちりすきまなく埋め尽くすようにしないといけませんでした。



§3 職場の変化からうつ病に

そんな私も社会人となり、学生時代にアルバイトをしたことがきっかけで、臨時採用でしたが、自宅の近くの郵便局で働き始めました。この頃は少し落ち着いていた時期でした。しかし、自分の頭の中に浮かぶ考えを優先させて、動作が遅くなるという、強迫性緩慢はありました。そして、最も症状がひどくなる時期がやってくるのです。

それは、郵便局の民営化が叫ばれ始めた頃でした。それまでは、のんびりした、居やすい職場だなと思っていたのに、正職員の方も人員削減されたり、時間外労働はしてはいけないことになりました。私たち臨時採用の職員だけで窓口業務を担当し、午前からと午後からのシフト制での交代勤務が始まったのです。

周りの雰囲気も悪くなり、仕事が急にきつくなって、「明日、仕事に行くのが嫌だなあ」と思うと、夜眠れなくなりました。そのうちに、それまで治まっていたロッカーの確認がひどくなりだして、私はうつ状態に陥ったのです。そのうつ状態が耐えられず、私は初めて自分から、精神科のクリニックを受診しました。

そこで初めて私は、子どもの頃からの強迫観念、強迫行為を打ち明けたのです。最初はいろいろな抗うつ剤が出されていましたが、強迫性障害と診断されてからは、SSRIを飲むようになりました。しかし、私は副作用がきつく、吐き気がして、SSRIは3週間ほどでやめざるをえませんでした。それからは薬の量を減らし、他の抗うつ薬をもらうようになりました。

その頃には、すでに仕事ができるような状態ではありませんでした。6カ月の休職の結果、私は郵便局を解雇されました。そして、1年半という期間、家で過ごしました。



§4 強迫性障害の治療

家は母と妹の3人暮らしです。私は「もう自分なんかこの世からいなくなればいい」と言って、母を困らせたこともありました。しかし、母は黙って見守ってくれました。

その頃、クリニックの先生から、行動療法をやってみてはどうかと勧められ、他県の病院を紹介されました。後で知ったのですが、紹介された先生は、強迫性障害の治療で有名な先生でした。診察を受けると、「行動療法を始めるには、SSRIを服用できるようになってほしい」と言われ、一旦、元のクリニックに戻されました。なんとかSSRIを続けられるようになり、それからその病院に通って行動療法を受けました。

しかし、効果はいまひとつでした。行動療法の担当は別の先生でしたが、行動療法が終わった後は、最初に紹介された強迫性障害専門の先生が担当してくれることになりました。

この頃、親戚のおじさんからお仕事のお話をいただき、また会社で働き始めました。しかし、それもつかの間の6カ月ほどでした。ミスが続くようになり、強迫性緩慢が激しくなり、うつ状態が再発したのです。そしてまた休職に入り、現在に至っています。

現在は、その先生に、1週間に1度診てもらっています。最初は2週間に1度でしたが、先生のほうから「1週間に1度のほうがいいでしょう」と言ってくださいました。



§5 病気になったことの意味はあるの?

現在、私がしていることは、思いつくだけで20以上あります。確認、手紙や本などの文章の読み返し、言葉の言い換え、心の中の行為(祈ったり、声を出さずに言葉を繰り返したり)、考え事、巻き込み、問い詰め、緩慢、動作を止める、気になる物の前から離れない、数字へのこだわり、対称性へのこだわり、外出先のゴミ箱のふたが触れない、掃除機に対する汚染恐怖(ばい菌)、うがい手洗い、自分のテリトリーへのこだわり、溜め込み、歪むのでハサミが使えない(カッターを使用)、まばたき、じっとみつめる、お薬を飲むときのルール、角や隅を触る、揺れているものを手で止める、などです。苦手な言葉は、癌、白血病、吐く、死ぬなどです。

「普通の人って、どんなに楽で、どんなに頭がすっきりしているんだろう」と、よく思います。時々、「私はなぜ生まれて来たんだろう、生まれてこなければよかった」と、思うこともあります。親を恨む時だってあります。

先生に「私が病気になった意味はあるの?」って訊いたこともあります。先生は「あるよ」と答えてくれました。「病気になって、治っていく上で、普通の人がわからないようなこともわかっていくし、何も意味がないわけじゃない」とおっしゃるのです。「何で私が」と思いますが、先生にそんなふうに言われると、意味があるのかな、と思ったりもします。

でも、今だって、納得しているわけじゃありません。いつ復職できるのかな、治る時は来るのかな、結婚はできるのかな、自立はできるのかな、など、毎日、すごい不安を抱えて生きています。また、すごい虚しさを覚えるときもあります。死んでしまいたいと思うときもあります。でも本当に死んでしまう勇気がない以上、生きていかなければならないのです。

強迫性障害になって20年以上、普通の人になれることを、毎日望んでいます。私がそう言うと、先生は「君は普通だよ」と言ってくれます。でも私はまだ、自分ではそういうふうには思えないのです。周囲の人には本当のことが言えず、罪悪感を感じる時もあります。

家でこんなことばかり考えている私が、症状のひどい時に、先生は、「自分の診療日だったら、話がしたくなったら、いつでも電話していいんだよ」と言ってくれました。それで、何度か、電話でお話をしたこともあります。「来たかったら、来てくれていいんだよ」とも言ってくださいました。今は、「君の心の中は見えなくても、君の心の中の一番近いところにいるよ」って言ってくれた先生の言葉を支えに生きています。

病気にはなりましたが、このようなお言葉をかけてくださり、信じあえる先生に出会えたことに幸せを感じています。