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【私のOCD体験記】 第9回 山下慶喜さん(仮名・29歳)
自分にできる仕事を求めて


強迫性障害は、広汎性発達障害の二次障害としても発病する場合があります。
広汎性発達障害の方の中には、学生時代までは気づかずに過ごし、アルバイトなどで仕事をして、初めて周囲とうまくいかなくなり、悩みを抱える方もいます。
今回ご紹介する山下さんの場合もそうでした。
地域の医療や支援体制の中で、壁にぶつかりながら、なお就労の機会を、そして友達を求めていく山下さんの体験記です。

*今回の体験記には、地方で若い人が心の病気になったときにつきあたりがちな問題が、いくつか含まれています。支援制度については注釈をお読みください。

目次
1 生い立ち
2 アルバイトをきっかけに
3 就職が決まらない
4 湧き起こる加害恐怖
5 広汎性発達障害とわかる
6 インターンシップでの出来事
7 主治医との行き違い
8 やっといい先生に出会えた
・事務局から
・注釈




1 生い立ち

僕は1979年(昭和54年)に、近畿地方のある市で生まれました。家族は父と母との3人暮らしです。

今思えば、小さい頃から一人遊びが好きでした。毎日一人でテレビを見ているか、おもちゃで遊ぶか、母と遊ぶかで、あまりにも友達と遊ばないので、母が心配して、近所の子供たちに、よく「遊んでやってくれない?」と頼んでいました。小学校に入ってからも、同級生より大人と話すほうが好きで、よく先生としゃべっていたという記憶があります。大人と話すほうが気をつかわなくていいからでした。

小学校3年のときに、地元の友達で誘ってくれる人がいて、それからわりと普通に友達と遊べるようになりました。中学に入る頃には、誘ってくれたその友達よりもたくさん友達がいるくらいになりました。でも、中学3年になる頃から、周りのみんなは受験のことでいっぱいになり、成績があまりよくなかった僕は、試験の点数をいいふらされたりといういじめを受けるようになりました。

部活動では吹奏楽部に入りました。ある木管楽器を担当しましたが、ここでも器用でない僕は、曲がうまく吹けず、ヘタなやつだと決めつけられて、無視されたりいじめられたりしました。でも、やめたら負けだと思ったので、3年の秋まで退部しないでがんばりました。
 
高校は、推薦で私立校に行きました。電車通学で40分もかかるところでしたが、同じ電車に乗る友達と話がはずみ、彼女もできて、1年生のときはびっくりするぐらい友達ができました。でも、自分が目立つと必ず足を引っぱる人がいて、ここでも3年になると無視されたりといういじめを受けました。けれど、留年はしたくないし、大学にも行きたかったので、がんばって登校し、3年で卒業しました。この頃まで、自分が人と違っているとはまったく思っていませんでした。



2 アルバイトをきっかけに

大学は電車で片道2時間かかるところでしたが、私立でお金もかかるので、下宿しないで通学しました。毎日朝早く家を出て、ほとんど遊ぶ暇はありませんでした。成績はかなりいいほうで、少ないながら友達もできました。

4年になって就職活動をすることになり、鉄道が好きなので鉄道会社に行きたいと思いました。いくつか受けましたが、JRも私鉄も落ちてしまいました。銀行なども受けましたがだめで、中小企業しか受けられるところがなくなってしまった頃に、父が「資格でも取ったらどうだ」と言いました。でも、その資格試験まではもう2カ月ぐらいしかなく、科目数が多いのです。父に「就職浪人してもいい、来年でいいよ」と言われたので、就職浪人することにして大学を卒業しました。

それから資格試験の予備校に通いました。その頃から、みんなと一緒に勉強するのがイヤだなあという感じがしてきました。高校のときのようにいじめられたらいやだという気持ちもあって、あえて生クラスを受けずに、ビデオで授業するクラスを取りました。これなら予約すればいつでも行けるし、休んでもあとで追いつくことができるからです。

ところが、あまり勉強をしないで遊んでいたせいで、次の年の資格試験には通りませんでした。それからは、なかなか親に「来年も資格試験を受けたい」とは言いづらくなりました。試験に落ちたので、年末年始に、近くの郵便局で宅配便の仕分けのアルバイトをすることにしました。1日4時間のアルバイトをして、終わった後は、また半年間勉強をすることにしました。

就職浪人2年目になったとき、母が中学の同窓生などに会って「どこに行っているの?」と聞かれて、僕が就職していないとは恥ずかしくて言えない、と言い出しました。「もう資格はいいから、どこでもいいから就職して」と言うのです。それで、なんとか働いて母を黙らせようと思い、近所のお店で店員のアルバイトを見つけました。週に2回、朝8時半から夕方5時半まででした。

確認の癖が出始めたのは、そこからです。時間は5時半までですが、そのときにレジの金額とお店の商品の数が合わないと帰れないのです。最初の頃は、合わないと、「しょうがないな」と言って、正社員の方がお金を出してくれました。でも、お金を出してもらっても気をつかうし、もしお金が合わなかったらどうしようと思って、店にお客がいないときに、しょっちゅうお金を数えるようになりました。

お金が合わないのは、お客さんに商品を渡すときに、間違えて多く渡してしまったりするためです。金額が合っていないと帰宅できないので、帰りはいつも6時半ぐらいになり、自分の財布からお金を出して合わせたこともありました。仕事が終わっても、明日はお金が合うだろうかと不安で、終わったという気がしませんでした。「明日はバイトだ」と思うと、夜に吐き気がするようになりました。結局、そのアルバイトは2か月でやめました。

それから、翌年の資格試験の勉強をしながら、確定申告の時期に税務署でアルバイトをしました。インターネットで募集しているのをみつけたのです。今度はお金を扱わないところにしようと思って応募したのですが、確定申告の書類を4枚、順番に並べる仕事でした。「すぐ発送するから間違えないでね」と言われて、間違えてはいけないと思い、何度も確認しました。それで揃えるのに時間がかかってしまいます。

緊張するのです。合っているかな、と思って、もう一度下から確かめて、それを5~6回繰り返します。すると「何やってるの」と怒られます。そこは月末までの契約でしたが、15日で契約を切られました。その頃から、僕はちょっとおかしいのかな、と思い始めました。就職浪人生活も3年目に入り、25歳になっていました。



3 就職が決まらない

次に、やはりネットの募集で登録して、市役所で働きました。ここでも、「急いでいるから間違えないで、正確にやってね」と言われ、確認を何度もして作業が遅くなりました。その頃はパソコンが文字入力ぐらいしかできなかったので、別の部署に回されました。その頃から、緊張すると吐き気がするのが激しくなりました。

資格試験の勉強もしたいのに、フルタイムで週5日働いていたので、なかなかできない状態でした。それで市役所の仕事をやめて、また試験の予備校に入り、ビデオ講座を受講しながら、雇用・能力開発機構(*1)というところに、パソコンを習いに行きました。ここは失業者のために無料で職業訓練をすることもやっています。市役所ではパソコンが使えなくてよく怒られたので、3ヵ月パソコンを習いました。

それから翌年の年明けまで、毎日資格試験の勉強をしました。しかし、翌年も、その翌年も、1日8時間ぐらい勉強したのに、試験に落ちてしまいました。最後の試験のとき、親には「今度落ちたらどこでもいいから就職する」と言っていました。母は、僕が資格試験を受けるのに反対で、なぜこだわるの、とうるさく言いました。夜遅くまで勉強をしていたので、朝9時ごろに起きると、「世の中の人は働いているのに」と言われました。

「ハローワークに行きなさい」とか、「アルバイトをして、そのまま社員になれば」と、しょっちゅう言われ、母との関係はよくありませんでした。この頃、吐き気がひどいので内科に行って検査をしたら、胃潰瘍の一歩手前だと言われました。試験勉強だけでなく、母に毎日就職のことを言われるのもストレスになっていました。

父の同僚が働いている人材紹介の会社に登録したこともありました。しかし、何の経歴もない僕が紹介されるわけはありません。その後、隣の市内にあるジョブカフェ(*2)に行き、履歴書の書き方や面接の受け方を習いました。スーツを着て事務職に着くことにあこがれていたのですが、病院の仕事が多く、面接までは行ってもなかなか決まりません。ある人材派遣の会社に決まりかけましたが、いきなりパートの人を指導する役目だといわれ、最年少の僕にやれるかどうか不安になり、自分から断りました。働くのが嫌だからではありません。働くのが不安だったからです。



4 湧き起こる加害恐怖

この頃から、自分が人に失礼なことをしてしまうんじゃないか、自分の意思とは反対のことをしてしまうんじゃないかという強迫観念が出てきました。面接を受けているときに、本当は入りたいと思っているのに「入りません」と言ってしまうんじゃないか。駅を歩いていると、仕事をしていないし、何の希望もない自分が、人を殴ってしまうんじゃないかという加害恐怖が出てきたのです。

たとえば、目の前を携帯でしゃべりながら歩いていたら、「遅いなあ、蹴飛ばしてやりたいな」と思うことは、誰にでもあると思います。でも僕は、本当に自分が蹴飛ばしてしまったんじゃないかと思ってしまうのです。そして、実際にそうしていないのを何度も見て確かめます。

その頃、有名な掲示板サイトで、人を殺すということを書いて逮捕された人がいるというのを知って、自分もうっかり書き込んでしまったのではないかと、とても不安になりました。ジョブカフェに行っている間も、自分が掲示板に書き込みをしたんじゃないかと気になり、早く家に帰って掲示板を見なければという考えが頭から離れません。

それで、一人でA大学病院のメンタルヘルス科に行きました。親には言いませんでした。病院の先生は、強迫性障害という病気だと言って、薬を出してくれました。そのうちによくなるといわれましたが、なかなかよくならないので落ち込みました。だんだん自分のお金がなくなってきたので、親に病院に行っていることを告げました。母は驚いて、「そんな精神病の人は雇ってもらえない、就職ができなくなる」と言いましたが、それからは親に通院の費用を出してもらうようになりました。

その頃は、パソコンで掲示板を見て、自分も「人を殺す」と書いてしまったと思うことが多く、パソコンを消して、また立ち上げて、同じ画面を見て、自分が書いていないか確かめる。そんなことを3時間もやっていました。これでは何もできなくなるので、フィルタリングソフトを買ってきて、その掲示板を見られないようにしました。

しかし、外に出れば、他人をどついたりしたんじゃないかと気になりました。パソコンで好きな鉄道のサイトを見ていても、問い合わせのアドレスをクリックして、「爆破してやる」とか危ないことを書いてしまったんじゃないかと思えて、何回もパソコンを消したり、つけたり。通販のサイトを見ただけで、何か注文して買ってしまったと思えました。

A大学病院は家から遠く待ち時間が長い上に、先生も出張が多いので、面接が4週間に1回になったりします。交通費もかかり、話もあまり聞いてもらえないので、親に相談しました。父が知っているB病院に相談してくれて、心療内科に行くことにしました。カウンセリングも安く受けられます。カウンセラーの先生は、話を聞いて「そうですか」と言うだけで、アドバイスはしてくれません。しかし、カウンセリングを受ければ、家に引きこもらないで、出かけて人と話すことができます。それからは週に1回、診察に行き、さらに週1回、カウンセリングに通う生活になりました。



5 広汎性発達障害とわかる

B病院では心理テストを受け、担当の先生に、親を連れてくるように言われました。母を連れていって、「小さい頃どういう子どもでしたか」と質問され、母は「マイペースでしたね」と答えていました。翌週、担当のX先生に、僕は広汎性発達障害(*3)だと告げられました。「広汎性発達障害は治りません。社会に適応していくことはできますが、マイペースとか、こだわりがあるなどの性格は生まれつきのもので、変わることはありません。工夫していくしかないですね。でも、強迫性障害は治ります」と言われました。

ショックでした。今はもうそうは思いませんが、その頃は病気についての知識がなかったので、「障害」という言葉がショックでした。それからインターネットや本で、発達障害について調べました。

X先生は、「発達障害があっても社会で活躍している人はいます。企業で働いている人もいます。だから就職が限定されたわけではないですよ」と言ってくれました。だけど、接客業はやめたほうがいいと。「お店のアルバイトはつらかったでしょう」と言われました。本当にそうでした。毎回、どきどきしながらお金を数えていましたから。

B病院に通い始めて、市のホームページで精神障害者保健福祉手帳(*4)の制度があることを知り、先生に相談しました。先生は「山下さんの状態を詳しく見きわめた上で書きたいから」と言って、4カ月ほどしてから診断書を書いてくれました。昨年、2級の手帳をもらって、自立支援医療(*5)の申請をし、医療費の自己負担が安くなりました。

それから、精神科のデイケア(*6)に通いました。遠いところにあるので、電車とバスを乗り継いで行くのは疲れましたが、やさしい人が多くて、友達もできました。でも、一日遊んで過ごすのは嫌だなと思い、また就職試験を受けようと思い始めました。今度は独学で3ヵ月ほど勉強しましたが、体力が続かずにやめました。



6 インターンシップでの出来事

それでも就職はしたかったのです。手帳をもらったので障害者枠(*7)で働こうと思い、ハローワークに行って、障害者の雇用を進めているNPO法人を見つけ、インターンシップ(*8)で働くことにしました。そこで働くにあたって、そのNPO法人の方とハローワークの方が医師の意見を聞くことになり、X先生と1時間ぐらい話しました。先生が「悪化したらやめさせてくださいね」とおっしゃって、許可が出ました。

そこは週3回、朝10時から午後4時までの仕事でした。初日にファイリングの作業を指示されて作業をしていたら、3時半ごろになって、「月曜に会議があるから、首から吊るす名札をセットしてほしい」と言われました。僕は言われたとおりにやりましたが、名札がケースの真ん中に入っていないということで、やり直しを指示されました。そのとき、もう4時になっていました。初日からこれです。

名札を何度も入れなおしているうちに、指の皮膚が切れて血が出ました。するとその人は、「大丈夫ですか」と言うのでもなく、「名札が汚れるからもういい、帰っていいよ」と言うのです。僕は疲れていたこともあり、腹が立ってしまいました。インターンシップというから勉強かと思ったら、時間どおりに終わらないと遅くまでやらされるのか。職業訓練というより、なんだか向こうの都合のいいように使われているように思いました。交通費は出るけれど給料は出ないのに。そう思うと腹が立って、次の出勤日は休んでしまいました。

次の診察の日、僕は予約した時間に遅れてしまい、病院に着いたときにはX先生はもういませんでした。その翌週の診察のとき、「なぜ診察に来なかったんですか」と先生に聞かれました。「来ましたけど、遅れたんです」と僕。僕がインターンシップを休んでいることが先生にも知らされていて、もう一度戻ったほうがいいと諭されました。

「前回先生に相談しようと思いましたが、会えなかったので」と言うと、「会えなかったのはあなたのせいでしょう」と、怒られてしまいました。話し合いのときに、「僕は怒られるのに非常に弱いので、仕事で失敗しても怒らないでほしい」と言ったのに、X先生はわかってくれていないんだと思うと、心が傷つきました。

先生の意見で、また話し合いをもつことになり、NPO法人の方とハローワークの方と、母をまじえて話し合いをもちました。NPO法人の方は、就職に結びつける立場なので、戻ってきてほしいと言います。条件を言ってほしいというので、就業時間を10時から午後3時までにしてほしい、休んだ日の分、期限を延長しないでほしいと希望を言いました。

10時から4時という時間は、僕には長いのです。強迫観念もあるので、疲れてしまうからです。3時までになったら、やはり楽になりました。お昼に休憩をしてから、あと2時間でいいと思うと、気分的にも楽でした。うつ病もあるので、夕方になると気持ちが沈んでしまうため、明るいうちに家に帰れるのは助かりました。



7 主治医との行き違い

インターンシップが終わったら、ハローワークの人が、今後のことを話し合いたいと言ってきて、発達障害者支援センター(*9)に行きましょうと提案されました。その支援センターは、一緒にハローワークへ行って仕事を探したり、職業訓練センターに行ったりしてくれるとのことです。それにあたっては主治医の先生の許可をもらうので、X先生と直に話し合いたいということでした。

X先生は忙しいので、ハローワークの方と電話で話すことになりました。ほかの人の診察中に電話が来たら困るので、僕の診察時間に、先生からハローワークの人に電話をすることになりました。僕は11時半から12時までが診察時間なので、その間に電話が行くと思います、とハローワークの人に言いました。

ところが、次の診察は、X先生の診察時間が延びて、僕の診察開始が12時半ごろになってしまったのです。そのとき先生が電話をしたら、ハローワークの人は昼休みで不在でした。電話に出た人が「11時半から12時までの間にお電話をいただくという約束だったようですが」と言ったようで、先生は「私そんな約束してません」と怒りだしました。僕にも「勝手にそんな約束するのはやめてください」と言います。1時になったらハローワークの人から電話が来て、その人も「11時半から12時ということでしたよね」と怒っています。僕は何も発達障害者支援センターに行きたいなんて言っていないのに、何なのだろうかと戸惑いました。

次の週に診察に行くと、先生は、もうハローワークの人に電話をしてくれたと言います。思わず「何時ごろにかけたんですか」と聞いたら、先生は「何時だろうとあなたに関係ないでしょう。かけたんだからいいじゃないですか」と言うので、僕も切れてしまい、先生と言い合いになりました。僕の説明も言葉足らずだったかもしれませんが、先生は、「療養するように言っていたのに、なぜ支援センターに行くのか」と言うのです。「あなたはやりにくい」とも言われました。とうとう僕も、別の先生に替えてほしいと言いました。

僕は前から精神療法(*10)をもっと長くやってほしいという希望をしていたのですが、実際にX先生と話せる時間は短いのです。調子が悪くてあまり話せないときは、「じゃあ前と同じ薬を出しておきますね」と言われて終わりです。カウンセラーの先生からは、「アドバイスは医者からもらってください」と言われていたので、先生と話すしかありません。それなのに毎回怒られてしまいます。

病院は担当の先生を替えてくれました。でも、その先生は2週間に1回しか面接はしてくれないということで、初診も5分で終わりでした。それで、遠くて待ち時間もかかりますが、最初に行ったA大学病院にまた行くことにしました。A大学病院で新しく担当になってくれたY先生は、よく話を聞いてくれて、とてもいい先生です。その先生の診察を受けながら、今に至っています。



8 やっといい先生に出会えた

X先生は、病気のこと以外は一切答えない先生でした。たとえば僕が「先生は休みの日は何をしているんですか」と聞こうものなら、「あなたの病気に関係ないでしょう」と、必ず怒られました。30代の女性の先生なので、もしかしたら、僕が先生を好きになるかと思って、それを防ごうとしていたのかもしれません。でも、今のY先生も女の先生ですが、「休みってあまりないけど、掃除してますよ」とか、会話をしてくれます。

B病院に行っているとき、薬の副作用で筋肉が硬直してしまったことがありました。顔が後ろに反り返ってしまって、元に戻らなくなったのです。痛いし、バスにも乗れないので、タクシーで病院に行きました。でも、X先生は「大変でしたね」とは一言も言ってくれませんでした。Y先生は、よく患者の話を聞いてくれるので、お昼も食べていないと言っていました。今度はやっといい先生に出会えました。

Y先生に勧められて、地域生活支援センター(*11)に行くようになりました。この地域生活支援センターはデイケアと違って、いつ行ってもよく、何時までいなくてはいけないという縛りがないので、僕には利用しやすい施設です。2階にパソコンが並んでいる部屋があるのですが、僕はパソコンが凶器に感じるので、その部屋には入りたくないので、公園で花を植えるボランティアのプログラムに参加して、すぐに帰ってきます。

花を植えるのは、外で活動できるので助かります。ほかのボランティアの方もいるので、友達もできるかもしれません。行き帰りに自転車に乗るのは、人や車にぶつけないかという強迫観念が出るのでつらいのですが、Y先生に「逃げていてもなくなるものではないし、いつかは乗らなくてはいけないこともあるだろうから、我慢して乗ってください」と言われ、そのとおりだと思うので、我慢して自転車で行っています。

そんなことで、今の僕は、週に2回は地域生活支援センターに行ってボランティア活動をし、週に1回は通院し、週に1回はカウンセリングを受けるという生活を送っています。発達障害の支援センターは、住んでいる地域にもできたので、そちらのほうに行くようにハローワークの方に勧められましたが、まだできたばかりで、活動が始まっていないようです。

一時、太ってしまったときに、体を動かしたらいいだろうということで、親が費用を出してくれたので、スポーツジムにも週に1回通っています。ダンベルなどを人に投げつけるんじゃないかという不安もふっと湧きますが、好きなインストラクターのプログラムを狙って行っています。

好きなことをしている間は、わりと強迫観念が出ないのです。たとえば好きな新幹線に乗っている間は大丈夫です。でも、自転車は自分が漕いで乗るので、自分に責任がかかるともうだめという感じです。相変わらず店に入ると万引きをしてしまったんじゃないかと恐ろしくなるし、情報誌を見ると電話で何か予約してしまったんじゃないかと思えるので、手帳に書いて、やっていないと自分に言い聞かせています。

携帯電話に出会い系サイトから電話がかかってきたことがあり、着信履歴に残るので、そこに電話をしてしまってお金をとられるんじゃないかと思って、わざわざ電話会社まで行って履歴を確認したこともあります。強迫が強すぎて不安が高まってくると、緊張して吐いてしまいます。

就職はしたいですが、1日8時間働くのは疲れるので、できれば障害者枠で就職したいと思っています。体が疲れやすいのに、一見、健康な普通の人に見えるのが悩みでもあります。親戚などには、ただのニートにしか見えないだろうと思うと、つらいこともあります。

今一番欲しいものはというと、何でも話せる友達です。男女どちらでもかまいません。障害者の方でもかまいません。できれば同世代の人で、特定の友達ができたらいいなと思います。話ができて、「大丈夫だよ」と言ってくれる人がいたら、だいぶ気持ちが楽になるだろうなと思っています。

事務局から

山下慶喜さんの体験記、いかがでしたか。病院の医師や地域のハローワークの方などとの間で起こったトラブルも、あえて、そのまま掲載しました。次のことにご注意ください。


●医師不足の中、お医者さんもがんばっています。
いま、日本の医療では、医師不足が問題になっています。産科や小児科だけでなく、精神科も例外ではありません。精神科では、多くの患者さんを診るために時間のやりくりに追われるお医者さんも多く、山下さんの担当になったX先生、Y先生のように、昼休みや休日も十分にとれない先生も珍しくはないことでしょう。
医療を受ける側も、症状以外の相談は心理士(カウンセラー)や精神保健福祉士やハローワークの相談員にするなどの工夫が必要になっています。
なお、医師不足に対しては、国でも予算をつけたり、医学部の定員を1.5倍にすることなどを検討しています。

●支援制度の充実はこれからです。
今回の体験記に出てきた精神障害や発達障害向けの支援制度は、ここ数年のうちにできたものも多く、内容が充実するのはこれからという面も多いのです。自治体によっても差があります。
また、このような支援では、医療機関と連携をとりながら行うことが必要なので、結果的に、医師の仕事もますます増えてしまいます。
しかし、精神科の病気では、このように、仕事を目指したり、人間関係をやりくりしていくことも、症状に影響することも多いので、このような支援に関わることも、治療の上で大事なプロセスになります。
支援制度については、下記の注釈を参考にしてください。

●注釈
*1 雇用・能力
    開発機構
平成16年に創立した独立行政法人。勤労者の職業能力開発・生活の安定・福祉などを推進するための業務を行う。47の都道府県センターで、雇用や職業能力開発の相談や支援にあたっている。
*2 ジョブカフェ国が平成15年に策定した「若者の自立・挑戦プラン」に基づき、経済産業省が行っている事業で、15歳から34歳までの若者の能力開発・就労促進を支援する活動を行っているカフェ感覚の施設。各都道府県にあり、地域によって異なるが、さまざまな活動を行っている。
http://hwiroha.s59.xrea.com/jobcafe_ichiran.html
*3 広汎性
    発達障害
脳の機能的な問題が原因で起こる障害のひとつで、3歳ごろまでに現れる。自閉症、アスペルガー障害などが含まれる。障害のあり方や程度は個人により多種多様で、必ずしも知的障害を伴わない。他人の心を読むなどの対人的コミュニケーションが苦手で、社会的な関係を築くことが困難だったり、興味や関心の幅が狭く、特定のものにこだわるなどの特徴がある。2005年に「発達障害者支援法」が施行されてから、公的支援の対象になった。
⇒文部科学省 特別支援教育に関すること 主な発達障害の定義について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008/001.htm
*4 精神障害者
    保健福祉手帳
⇒OCDコラム第7回
⇒OCDコラム第40回
*5 自立支援医療⇒OCDコラム第40回
*6 デイケア精神科デイケアは、病院やクリニックなどが行っているもので、症状の安定や社会復帰を目標としたリハビリテーションの場。精神科の外来を受診している人が通所し、趣味やスポーツなどのプログラムに参加することができる。
*7 障害者枠ハローワークなどの求人で、障害者のみ応募できるもの。そのため、病気、障害を隠さずにオープンにしての応募が前提となる。また、ハローワークによっては障害者向けの相談窓口や専門の相談員を配置している。
*8 インターンシップ一定の期間、企業などで研修生として働き、職業体験ができる制度。給与の有無は企業の制度によって異なる。これは将来その企業に勤めるかどうかとは関係なく、入社前の研修のようなものではない。
*9 発達障害者
    支援センター
発達障害(自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害など)の本人および家族、関係者への支援を行うことを目的にした専門機関で、平成17年に施行された発達障害支援法により、各都道府県、指定都市に設置が進められている。
http://www.mhlw.go.jp/ddis/a/09.html
*10 精神療法心理学に基づいて行う精神疾患の治療法。認知行動療法、支持療法、来談者中心療法、精神分析などさまざまな方法がある。
*11 地域生活
     支援センター
⇒OCDコラム第40回
センターによって異なるが、食事会やレクリエーションなどのプログラムがある。時間の制約も、個人の支援目標やセンターの方針などによって異なる。