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【私のOCD体験記】 第7回 渡辺裕子さん(仮名)
食べ物へのこだわりをかかえながらも



心の中で起こるこだわりは、なかなか人には言えないものです。
一人で悩みを抱えながら、それでも実現したい夢に向かって歩いていくとき、
人は意外な力が出せるものなのかもしれません。
摂食障害で入院した経験を持つ渡辺さんは、人一倍の努力家です。


1. 食べ物に対するこだわり
2. 強迫を抱えながら高校・大学へ
3. 摂食障害で入院する
4. 入院したら楽になった
5. 強迫症状のことを初めて相談
6. 強迫よりも“欲求”を勝たせること

 

1. 食べ物に対するこだわり

私はOCDになって15年ほどになります。現在も治療中なので、めでたしめでたしではありませんが、少しでも現在治療している方の励みになればと思い、体験記に応募しました。私は強迫性障害といっても、他の方がならないような強迫観念が出ていて、このような病状もあるのだということを知ってほしいという気持ちもあります。

私は3年前に摂食障害を併発しました。実は、私は中学生の頃から食べ物に関するこだわりが強かったのです。自分の中で食べてはいけないものとか、食べてはいけない時間があります。食べることへのこだわりは時間帯にもあり、朝ご飯と昼ご飯の間は何時間あけないといけないとか、細かくあります。私の生活に、時計はかかせません。いつも時間を気にしています。

最初に食べ物に関してこだわりが出たのは、確か中学1年生の時だと思います。その頃は塾などで忙しく、いつも間食をしていたのですが、たまたま何日間か連続で間食できない時がありました。その時に、「間食をしない記録を作ろう」というような考えが湧き、間食をしないようにしました。しかし、私の持つ完璧主義の性格から、それは「間食をしない」から「間食をしてはいけない」というものになりました。そして「晩ご飯は何時に食べる」と決めて、その時間以降にしか食べないように決めました。

それでも始めはさほど不自由はなかったのですが、次第に自由な範囲が狭くなりました。今では「晩御飯を食べてはいけない」ことになっています。原点はそこにあったのですが、その時の気持ちは……よく覚えていません。というか、おそらく私にとっては、強迫が現れることがそれほど珍しいことではなく、スッと受け入れてしまったのかもしれません。自分がこうなった背景にあるものも、よくわからないのです。ただ、私は自分で決めたことを破ることができないのです。

 

2. 強迫を抱えながら高校・大学へ

親は、かなり症状がひどくなるまで、私のこんな面については気づいていなかったようです。中学生時代は、時間は決まっていても食べられていたので、親も心配していなかったのでしょう。でも、そのほかの儀式行為に関しては気づいていたようです。私は勉強などを始めるまでに、他の人から見ると不可解な行為をしていました。言葉では表しにくいのですが、かばんを何度も開けたり閉めたりして、勉強を始めるまでにもかなり時間がかかりました。

これには弟も気づいていて、よく私を見下した感じでからかっていました。それを見て、母は笑いながら弟を注意していました。私は悲しかったのですが、それよりも強迫観念が先立って、どうにもなりませんでした。この症状のため、勉強が嫌いなわけではないのに始めることがつらくて、成績にはかなり支障が出ました。学校でも帰りの支度に時間がかかるので、友達からばかにされていました。

“食べてはいけないもの強迫”のピークは、高校受験の時でした。「これを食べたら受験に失敗する」などの観念に縛られていました。でも、受験の時は「勉強をしなければ」という動機付けのほうが上回り、なんとか勉強できて、その時に志望していた高校に入学することができました。高校には合格しましたが、一度始まった強迫観念と強迫行為は治まりませんでした。

私が入学した高校は、3割は就職、1割が国公立大学進学、1割が看護学校進学、あとは私立大学または短大・専門学校へ行くようなクラス編成でした。私は小学校の頃から保育職につきたかったので、地元の短大に行くつもりで、そのクラスに進級しました。しかしその頃から、クラス編成のおかげで勉強したら成績が上がり、「四大もよいのでは」なんて思ってしまいました。

都会に出たかったのと、幼保系の大学がよいのではないかということで、他県にある大学に決めました。推薦入試だったので、勉強は面接と小論文しかやっていません。そのかわり、部活動での活躍などがわかるものを送ってもよいと言われたので、賞状なども送りました。それで、現役で進学できました。一般では絶対に受からないはずの大学だったので、その時は安心しました。

私は、高校から大学まで吹奏楽部で打楽器を担当していました。高校を選んだのも、吹奏楽部が有名だったからということもありました。でもそれだけに、練習はかなりハードでした。私には強迫もあったので、身体的にもかなり危機に陥りましたが、今思えば、あの頃が一番輝いていたのかも、なんて思うところもあります。

 

3. 摂食障害で入院する

私が初めて病院にかかったのは大学1年の夏から冬にかけてのことです。夏ごろから食欲が低下して、体重が急激に減ってしまいました。春休みに帰省したとき、親が驚いて私を病院に連れて行き、半強制的に入院することになってしまいました。私は、摂食障害はダイエットの行き過ぎにより発症するものだと思っていたので、自分は摂食障害ではないと思っていました。ところが病院に行ったら、思ったより深刻な状態だったようで、すぐに入院しなさい、と言われてしまいました。

入院したとき、体重は32キロまで落ちていました。身長は154㎝で、大学入学時には55キロありましたから、周りはかなり驚いていました。でも、拒食症の重い人は20キロ台までいくそうなので、拒食症の人から見たらそれほではないと思います。それまでの間、急に食べられなくなったわけではなく、次第にという感じでした。食べたら気持ちが悪くなって、気持ち悪くなりたくないから食べない、ということが続いて、どんどん食事の量が減っていったという感じです。でも、拒食症の人が感じているような食べ物への嫌悪感もあり、いろんな気持ちが交錯していました。

夕ご飯は食べないことにしていたので、ほとんど朝と昼の2食しか食べていませんでしたが、たとえば、昼食べて胃もたれがすると、翌朝になっても胃もたれがよくならないのです。でも、自分の中で「朝は食べなくてはいけない」という決まりになっているので、朝は何か食べます。すると昼になってもおなかがすかないので、昼を抜きます。体はきついですが、そうするとやっと空腹感が戻ってくるのです。

翌日は、朝も昼も食事をします。すると、その日の昼ご飯で、また胃もたれのような気持ち悪さに襲われます。そうすると、私は食事をした自分を責めてしまうのです。「どうして食べてしまったんだろう、私は食欲に負けた弱い人間だ」と。でも、別にドカ食いをしているわけではなく、普通に学食のメニューを食べているだけなのです。次第に、おなかがすいている日でさえ、「またこれを食べたら気持ちが悪くなるかもしれない」という感情に襲われるようになりました。「気持ち悪くなるくらいなら食べないほうがいい、と考えるようになり、その頃から周りは、私がやせてきたと気づくようになったようです。

秋ごろから、1日2食の中身も、昼はスープ1杯だったり、肉じゃがのじゃがいも1切れだったり、まともにエネルギー補給ができない状態でした。水を飲むだけでも気持ち悪くなりそうに思っていました。その頃、自分はやせているとは思っていましたが、「別にやせているからって、何か問題でもあるの?」と思っていたようです。中学や高校時代、私のことを「太ってるね」と言ったり「もっとやせろ」と言った人たちに対して、「ほら、こんなにやせたんだから」と、見せ付けたいような気持ちもありました。

食事をして少しでも満腹になると、「食べすぎではないか」「カロリーオーバーかも」と考えていたので、肥満に対する恐怖はあったと思います。でも、本当は食べることが好きな私が食べられないのは、苦しく、悲しかったです。でも、悲しさよりも「太りたくない」という気持ちのほうが強かったのです。

摂食障害の特徴である「過活動」もありました。万歩計をつけて、「1日1万歩は歩かないといけない」と決め、いつも歩いていました。吹奏楽部の活動もしていたので、時には床に落ちたバチを拾うことすらきついというような状態でしたが、それでも「食べないのは自分がいけないのだから、そんな理由で休んではいけない」と思って、活動を続けていました。

 

4. 入院したら楽になった

驚いたことに、入院した途端に、私は食べることが気持ち悪くなくなりました。それまでは水を飲んだだけで気持ち悪くなっていたのに、入院した途端に、その気持ち悪さが消えたのです。吹奏楽サークルの練習が負担になっていたので、そこから解放されるという安堵感もあったのかもしれません。入院は私にとって、安心できるものになりました。

私の入院した病院は、摂食障害では有名な病院で、思春期病棟があり、同じ年代や病気の患者さんも沢山いたので、過ごしやすいところでした。治療法も、よく言われる行動療法ではなく、食事ができていたので輸液で強制的に栄養をとらされることもなく、ただ単に療養という感じでのびのびできました。主治医の先生とは正直言ってウマが合わないなと思いましたが、看護師の方やスタッフの方はよい方ばかりだったので、入院生活がいやだとは思いませんでした。

実は最初、強迫のことは先生に話しませんでした。しかし、入院生活の後半に、強迫についてもやんわりと話してみました。でも、あまりきちんと話すことができなかったせいもあるのだと思いますが、先生からは「いやなのにしてしまうならしないようにすればよい」と言われるだけで終わってしまいました。

そのとき相談した強迫行動は、朝起きてからするストレッチなどの運動強迫です。運動は、初めはやせようと思ってしていました。しかしだんだんやせるためではなく、やることで時間を費やすことに焦点が当たってしまい、全然体を使っていないような感じでした。私は、何かを始めるとやめられないんです。「やめるイコール挫折」と考えているところがあるようです。

 

5. 強迫症状のことを初めて相談

4月になると大学が新学期になるので、休むことはできないと思い、体重もほんの3~4キロでしたが回復してきたので、先生から許可は出ていませんでしたが、ひと月ちょっとで退院することにしました。その後は、大学があるA市の病院に通院することになりました。

そこではカウンセリングが中心の治療で、私はそこで出会った心理士さんに、初めて自分の強迫症状について、本格的に話をしました。するとその心理士さんは、行動療法を勧めて熱心に説明をしてくれましたが、私はその勢いについていくことができず、結局、うまくいきませんでした。私自身、その心理士さんに対して恐怖感を抱いていたような気がします。その病院には1年半通いましたが、症状には何の変化もありませんでした。

大学3年の秋から、下宿の近くのクリニックに通い始めました。そこには今も通院中です。そこの心理士の方とは、不思議と話をしていて楽しく、通いやすいのです。その方は、「強迫を治すのでなく、生活していて気にならない状態にするという考えがよいのでは?」と言ってくれて、私はとても楽になりました。

摂食障害のために休んでいた吹奏楽サークルにも、2年生の6月ごろには復帰し、3年の引退の定期演奏会まで続けることができました。勉強のほうは、講義のほうはまだよいのですが、実習がうまくいきませんでした。保育所実習の時に、食べ物に対する強迫が出てしまい、先生方にも注意を受けて、厳しい指導を受けました。その結果、成績は「不可」となってしまい、保育士の資格が取れなくなってしまいました。

でも、この実習によって、自分には保育者の仕事は向いていないと自覚できたので、資格が取れなかったことにはあまり固執しないようにしようと思いました。でも本当は、今も引け目に感じています。その後、4年生の夏から、医療事務の学校とダブルスクールで通い、病院を中心に就職活動をしました。

 

6. 強迫よりも“欲求”を勝たせること

現在は薬物療法も行動療法もしているわけではなく、月に2~3回、カウンセリングを受けているだけですが、私の中では、1年前よりもこだわりや強迫的思考が減ってきたように思います。私は、強迫がある中でも、どうやれば生活しやすくなるのかを考えるようにしました。「強迫性障害に勝つ」という考えももちろん大切と思います。しかし私は、まだ病気を治すということも想像できないし、怖いと思う部分もあるのです。だから私は、この病気と共存していこうと思いました。こんな考えは「逃げているだけ」と思う方もいるかもしれませんが、今の私には、病気を治すという、そこまでの力はありません。

今悩んでいるのは、朝と昼しか食べないという決まりを崩せないことです。飲み会などに参加しても、私だけ何も口にしないので、みんな不思議がりますし、その場の雰囲気を壊してしまっているように感じます。ちょっと前までは、私が参加しても雰囲気を壊すだけだと思い、誘いを断っていました。でもやはり、人が仲良くなるのは飲み会などなんですね。

サークルだと練習が終わったらすぐ帰りますし、そういう場でしかコミュニケーションを深められません。だから私は、「食べないけれど」と一言断ってから参加することにししました。話すだけでもいいからみんなと仲良くなろうと。こんな考え、わがままだとは思います。でも、そのような場に多く参加することで、きっと自分自身、何か成長できるのでは、と思う面もあります。

この1年間で少し症状がよくなったことで、ひとつのコツというか、生活しやすくするポイントを、私流ですがつかめました。それは、“強迫”よりも“生活上の欲求”を勝たせることです。たとえば、飲み会で居酒屋などに行くのも、食べ物がある場面に行くのがいやで断っていた面もあるのです。「もし何か飛んできたらどうしよう」とか……。

でも、その「もし~ならどうしよう」という心配よりも、「みんなとの親睦を深めたい」という気持ちが上回ったとき、何かが吹っ切れました。他の方には、みんながみんな当てはまるものではないと思いますが、これからも私なりの病気との共存の仕方を試していこうと思っています。

私は今年の春、就職が決まりました。就職先には、病気のことは話していません。これから先、私の乗り越えなければいけない試練はたくさんあるだろうと思います。でも、今はとにかく、一日一日をこなして、そして楽しんでいこうと思っています。就職することが必ずしもいいことなのかどうか、私にはわかりません。もしかしたら治療に集中しなければならない状態の方もおられると思います。でも、私のように病気を持ったまま就職している人が、そして今から就職活動を始める人がいたら、「共に励んでいきましょう」と伝えたいのです。