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OCDコラム

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日本文化と強迫の関係を考える


2007年のお正月も、全国各地の神社が初詣の人出でにぎわいました。東京の明治神宮や大阪の住吉大社などでは、三が日でそれぞれ200万人~300万人の参拝者があったと発表されています。結婚式はキリスト教式で、お葬式は仏教式、12月25日はクリスマスを祝うなど、宗教に関しては無節操とも言われる日本人ですが、なぜか初詣は神道の神社にお参りするのが習慣になっているようです。

神道は、日本古来の民俗信仰をもとに、古墳時代から飛鳥時代にかけて成立したとされる信仰です。飛鳥時代には、大和朝廷の歴史書である『古事記』(712年完成とされる)、『日本書紀』(720年完成とされる)に日本神話がまとめられ、その神々の由来について書かれています。それ以降、神道は、6世紀に大陸から伝来した仏教と共存しながら、時の政権と結びついて民衆の間に広まり、明治時代になると、政策的に仏教と分離されました。

その後、第二次世界大戦終結までは、国家神道として政治の目的に組み込まれた時代がありましたが、現在では全国の神社を中心に人々の信仰を集め、今もなお、私たち日本人の生活に溶け込んだ信仰として生きています。近年まで、多くの日本の家では仏壇の上に神棚が設けてあり、拝んだりお供えをする風習がありました。神道の考え方から広まった風俗や習慣は、今でも私たちの生活の中にたくさん見られます。

今回のコラムは、OCDの治療に励む方や、ご家族の皆様のために"役に立つ情報"というわけではありませんが、OCDという病気の症状が、普通の人にとって特別に理解しがたいものではなく、むしろ共感しやすいものかもしれない(?)ということを知っていただくために、ちょっと参考にしていただければと思います。



●イザナキ・イザナミの国つくり神話

キリスト教やイスラム教と違って、神道は多神教です。ギリシャ神話などの多くの民族の神話と同じように、日本神話でも、複数の神々による物語によって、この世界の成り立ちを説明しています。日本神話では、この国(日本列島)は、イザナキという男性神と、イザナミという女性神が結婚をして生み出したと書かれています。

イザナキとイザナミは、国を産むとともに多くの神を生みだしますが、火の神であるカグツチを産んだときの火傷がもとで、イザナミは死んでしまいます。イザナキは死んだ妻を追いかけて、死者の国である黄泉国(ヨモツクニ)まで行きます。そこで「まだ国をつくり終わっていないので、早く帰ってきてほしい」とイザナミに言いますが、イザナミは、「悔しいことに、あなたがすぐに来てくれなかったので、私は黄泉の国の食べ物を食べてしまいました」と答えます。死者の国の食べ物を食べると、もとの世界には戻れなかったのです。

イザナミは、「自分も帰りたいので、黄泉神(ヨモツカミ:死の国の神)と話し合ってみます。それまで私を見ないでください」とイザナキに言います。それにもかかわらず、イザナキは火を灯して、妻の姿を見てしまいます。その姿は、体に蛆がわき、全身に8つの雷神がとりついた恐ろしい姿でした。

イザナキは変わり果てた妻の姿を畏(おそ)れて逃げだしますが、「恥をかかされた」と怒ったイザナミは、死の国の醜悪な女(黄泉醜女:ヨモツシコメ)を放ってイザナキを追いかけます。イザナキはそれらと戦いながら、死の国と生の国の境にある黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)までたどり着き、大きな岩で死の国への入り口をふさいでしまいます。

その岩をはさんで、イザナキは、かつては妻であったイザナミと対決します。イザナミが「あなたの国の人を1日1000人殺す」と言うと、イザナキは「それなら私は1日に1500人産まれるようにする」と言います。『古事記』では、これをもって、「1日に1000人が死んで1500人が生まれるようになったのだ」と書かれています。

――この物語から、あなたは何を想像するでしょうか。神話が成立した古代は、文明が栄える以前の多産多死の時代です。人の命は短く、子の出産と引き換えに命を落とす女性も多かったことでしょう。生命は何よりも尊いものであり、死や死体は、忌むべき、恐ろしいものであったことでしょう。生の世界と死の世界という対立する2つの世界の成立を、神話は描き出しているようです。



●死への畏れと「禊(みそぎ)」の始まり

イザナキは、この世に逃げ帰った後、それまで身につけていた衣服や飾りなどをすべて脱ぎ捨て、裸になって、全身を海の水に浸けて浄めたとされています。それは、「ひどく醜い穢(けが)れた国」を見てしまったからです。『古事記』によれば、イザナキが脱ぎ捨てた衣服から、12の神が生まれました。イザナキは水に入って体についた汚れを洗い落とし、その過程で、さらにさまざまな神が生まれます。

イザナキが最後に左の目を洗ったときに、アマテラス(天照大御神)が、右目を洗ったときにツクヨミ(月読命)が、鼻を洗うとスサノヲ(建速須佐之男命)が生まれ、それぞれに高天原(タカマガハラ:天の神の住む国)、夜の国、海の国をまかせました。日本神話の創造神であるイザナキとイザナミは、最初は夫婦で協力して国土と神を生みましたが、妻が死の国へ赴いた後、夫が一人で神々を生み出したというお話になっています。

神道では「禊(みそぎ)」「祓い(はらい)」という神事がありますが、このときのイザナキの行いが、「穢れ(けがれ)」を祓う「禊」の始まりとされています。このとき、イザナキが水で洗い流した「穢れ」は、「死の穢れ」です。つまり、穢れとは、泥やホコリのように目に見える汚れではなく、目に見えない観念的なものとして、古代神話にも描かれているということがわかります。

古代以降、日本では「穢れ」の概念が定着し、平安時代には、人の死、家畜の死、埋葬、出産、流産、月経などが穢れの事象とされていました。それらの穢れをなくすには、水で洗い流して浄める「禊」のほかに、神の前で「祓い」をすることが必要とされ、平安朝では大きな災害や国家的な不祥事があると、朝廷を挙げての「大祓え」が国家行事として行われていました。

今でも私たちは、問題が起こった後にそれを「なかったことにしよう」というときには「水に流す」と言いますが、「穢れを水で浄める」という考え方は、さまざまな風習となって日本の文化に根付いています。お正月になると裸になって海に飛び込む祭が各地にあり、裸になって水を被る「水ごり」の行事も各地で見られます。神社に行くと、私たちはお手水(ちょうず)で手を洗い、口をゆすぎますが、これも禊のひとつなのです。

そして、神社はいつでも清潔に掃き浄められていますが、あの清潔な空間の感覚は、キリスト教やイスラム教の教会など、他の宗教の寺社建築と比較しても、特徴的なものではないでしょうか。



●日本人はもともと強迫的?

日本神話や神道の歴史を知れば知るほど、日本人は「穢れ=目に見えない汚れ」という観念を古代から受け継ぎ、文化や習俗の中から身にしみ込ませて生きているようです。こうした日本人の心の傾向について、精神分析医の立場から注目してきたのは、九州大学教授の北山修氏です。

北山修氏は、団塊の世代前後の人たちには、フォーク・クルセイダーズというバンドの一員でありミュージシャン、作詞家としても知られますが、音楽界を引退の後、ロンドン大学で精神分析学を専攻し、帰国後は自らのクリニックで12年間臨床に携わった後、九州大学教授となりました。現在は日本精神分析学会会長でもあります。

氏はかつて、『古事記』をはじめとした日本神話を読み解いて、私たち日本人のもつ神経症的コンフリクト(心的葛藤)を明らかにするという研究を行い、いくつかの著作を著しました(参考文献参照)。「日本の文化には、約2000年も前から洗浄強迫も含めて不潔恐怖を中心に強迫的なものが儀式化されたり、宗教の中に取り入れられたり、行事化している」として、それらと現代人の強迫症状との連続性に、臨床医として関心を寄せてきたといいます。

イザナキは国を生み出した最初の父親像でもあるわけですが、その父親像が、強迫的な性格を持ったものとして描かれていることに氏は注目し、そうした性格が神道を通じて洗練され、私たちの国民的な性格傾向として継承されてきたのではないかと指摘しています。「きちんとせねばならない」という儀礼的態度などは、そのひとつの現われだというのです。

死や汚いものへの畏れを克服するための儀式行為も、宗教儀礼として洗練されていけば文化となるわけですが、ある個人がその行為にとらわれすぎて、日常生活がうまくいかなくなったときには、症状として治療の対象になる――。不思議なようですが、考えてみれば古代人も現代人も、<地球に生きる人間>という生物的条件は同じです。歴史的な文化も、心の病気も、いずれも人間の心(脳)が生み出したものと思えば、そのつながりも当然のものと言えそうですね。


参考文献:
北山修 『悲劇の発生論――精神分析の理解のために』 金剛出版 1982年
吉本隆明・北山修 『こころから言葉へ』 弘文堂 1993年
成田善弘・編集 『精神医学レビュー №14 OCD』 ライフ・サイエンス 1995年
北山修 『幻滅論』 みすず書房 2001年
河合隼雄 『神話と日本人の心』 岩波書店 2003年