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【私のOCD体験記】 第5回 山田さん
もっと早く、治療を始めていれば・・・。


OCDのほかに、様々な心の病気を併発している人は数多くいます。
身体症状がある場合、まず内科を受診したという人も多いことでしょう。
今回ご紹介する山田さんの場合、さらに事態は複雑でした。
なにしろ、学生の本分であり、知識や教養を身につけるのに必要な「本を読むこと」を強迫的に求めてしまうのですから――。
しかし、山田さんは回復への道を見出しました。

1. 「本を読まなければ」という強迫観念
2. 悪化していく心身の症状
3. 内科から精神科へ
4. 強迫性障害の治療が始まる
5. もっと早く始めていれば

 

1. 「本を読まなければ」という強迫観念

私は29歳の男性です。本を読むという行為に対して、強迫を抱いています。これは17年間も続いており、強迫性障害という病気であるとわかって治療を始めたのは、およそ6年ほど前のことです。

私は中学生の時、何故かわからないままに、本を読まなければならないとの思いにとらわれました。図書館に入り浸り、在学中、本を山ほど借りました。しかし、本当に読みたくて借りて読了したのは、ごくわずかの本だけです。ほとんどの本は、ただひたすら字面を追っただけでした。

症状の始まった中学生当時を振り返ると、私は周囲から見て、相当の変わり者だったろうと思います。あまり社交的ではなく、好きな科目に対してはひたすらそれに没頭し、嫌いな科目の時は、授業を受ける気力が続かず、寝ているような子供でした。自分のことには無頓着ながら、学校や生徒会から頼まれた仕事は完璧にこなさなければ気がすまないという一面もありました。今考えると、仕事を完璧にこなさなければならないという、一種の強迫観念にとわられていたように思います。

反面、躁うつ的な気質も持ちあわせ、気分が躁的な方向に傾いた時は、人間関係を台無しにするほど羽目を外すこともありましたし、逆にうつ気味の時は、体調不良のために登校拒否をすることもしばしばでした。実は、私の父にも同様の傾向があり、父は後年、躁うつ病(編集部注:双極性障害)を発症し、入退院を繰り返しています。

私の家は特に本が多い家庭ではありませんでしたが、父が多趣味であり、それでいて飽きやすいという性格でした。後年、私が精神科で指摘されたように、様々な事物への知識欲が読書するという行為に転化されたのだとしたら、強迫性障害の原因のひとつは、父の生活態度にあったと言えます。

中学生当時、ジャンルにかかわらず、あらゆる本に手を伸ばし、訳もわからずに読み漁っていましたが、宗教と社会に関する本は別で、それなりに理解しながら読んでいました。この傾向は、今も変わりません。中学から高校にかけては1日4時間ほど、後年、大学に入ってからは、学内では図書館、学外では古書店にこもり、読書に多くの時間を費やしていました。

 

2. 悪化していく心身の症状

中学卒業後、地元の県立高校の普通科に入学しました。中学での成績は科目ごとの偏りがひどかったため、ぎりぎりの点数での入学でした。興味が極端な方向にしか向かないことと、読書で無駄な時間を費やしたことの結果です。

高校入学後、さらに本に対する強迫観念がひどくなり、常に懐に本を持ち歩き、学校の帰りには書店に立ち寄らないと安心できなくなりました。自律神経失調症のような症状もひどくなり、通学中や授業中、おなかの調子が悪くなってトイレに駈け込むことがしばしばでした。この過敏性腸炎の症状は、小学校高学年頃から始まり、ほかにも起立性低血圧、心臓神経症と症状も多く、今もストレスが加わると胃腸に来ます。

高校でも得意科目と不得意科目との成績差が激しく、落第寸前まで行きました。反面、図書館に入り浸り、図書委員でもないのに司書の仕事を手伝ったりと、本に囲まれている時は落ち着きを取り戻し、幸せでした。今から思えば、この頃に私自身や周囲の人間が心身の異常に気付いて、精神科か心療内科の門をくぐっていれば、後の事態は避けられたのかも知れません。

何とか高校を卒業できる見込みができ、進路を考えましたが、私は専門学校と短大の通信制を併修して、自分の興味を満たし、実務に役立つ学問をしたいと主張しました。ところが、母親と担任の意向で、地元の4年制大学に進むことになりました。私が大学を受験した当時は、ちょうど入試の多様化が盛んな頃で、その大学も、得意な科目だけを選択して受験できました。私は国語と社会を選択しましたが、本に囲まれて生きてきた甲斐あって、簡単に合格しました。

こうして地元の大学の商学部に進学し、自宅から車で1時間かけて通いました。意に反しての進学でしたが、入学した以上はきちんと卒業して、できれば法律系の資格でも取りたいと考えていました。しかし、何一つ目標を達することはできませんでした。一応、経済法とコンピュータを専攻したものの、ほとんど授業に出席せず、3年間、図書館に朝から晩まで入り浸り、自分の専門外の本さえも、意味のわからぬままに頁をめくり、字面を追う毎日でした。友人もできず、当然、サークル活動などにも加わっていません。

とにかく、本に囲まれ、本を読まないと、何とも言えない不安や不快感に襲われ、耐えられませんでした。逆に、本に囲まれていれば、それだけで安心できました。このような生活がたたって、単位が決定的に不足し、留年が確定したため、結局、大学3年の終わりに中退することになりました。

 

3. 内科から精神科へ

大学を中退する少し前、手足に原因不明の感覚障害と痺れが起きました。数日で自然に治ったものの、自分は不治の病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)ではないかという不安、というよりはむしろ妄想にとわられました。これが心気症の始まりでした。自分で文献を漁り、数人の先生の診断も仰ぎ、ALS には30代前の発病はありえないと、頭では理解できたとしても納得できず、朝晩ハンマーで膝を叩いて、ALSの兆候である異常な筋肉の反射がないか、確かめずにはいられませんでした。

また、いわゆる抑うつ状態になり、ちょっとしたストレスが加わると何もやる気になれず、ぐったりしていました。この時期は、遺言書を書いてみたり、自殺の仕方を調べてみたりと、心身ともに参ってしまいました。無論、大学生活は続けられず、家でも引きこもりのような生活をしていました。

最初は家庭医だった内科を受診しましたが、「気のせいだ。問題はないよ」の一言で片付けられてしまい、対症療法として、抗不安薬を処方されました。しかし、心気症にしても抑うつ状態にしても、症状は全く改善せず、それでも医師は治療法を変える気配もなく、内科での治療に限界を感じました。そこで、自分で判断して、精神科を受診することにしました。これが私にとって、一つの転機となりました。

精神科は、タウンページの精神科の中から開業医を探し、家から通いやすそうなところを選びました。私が住む市内には、数か所の大きな精神科病院がありましたが、大きな病院は重症の患者が多くて、私程度の話など聞いてくれないのではないかと思い、あえて開業医を選びました。

精神科を受診することには、全く抵抗を感じませんでした。「軽い自律神経失調症でも、初診から内科ではなく精神科を受診する人が増えている」という情報が、新聞などを通じて頭にあったからだと思います。もっとも、地元に大病院しかなかったならば、重病の精神病の患者さんばかりの外来(当時はそう思っていました)に受診するのがはばかられて、受診を躊躇したかもしれません。

 

4. 強迫性障害の治療が始まる

受診した精神科で、「実は、本に囲まれ、本を読んでいないと、どうにかなりそうな不安を感じるのです」と告白したところ、「本を読もうという強迫観念は、知識欲を得ようとする意識の歪んだ表現である」との解釈がなされました。同時に、<特定不能の人格障害>という診断も受けました。本で得た知識で、自分は人格障害なのだろうという自覚はありましたが、加えて、精神病という診断が下ると覚悟していましたので、そうではないと聞いた時は、いささか拍子抜けしました。

この診断を受けた際、初めて<強迫性障害>という病名を知りました。強迫観念という言葉はよく聞きましたが、それは神経症や精神病に付随する症状だと思っており、強迫性障害という独立した病名があることは、この時、初めて知りました。治療開始後は、人格障害と、それに伴う抑うつ状態の方が重篤でしたので、抗うつ薬(SSRI)と抗不安薬を与えられ、薬物治療をメインとし、加えて心理療法と面談(カウンセリング)を行いました。

原則的に隔週、症状が重い時は毎週、通院を続け、治療開始後1年ほどで、強迫観念は落ち着いてきました。正直言って、心理療法よりも薬物療法、特に抗うつ剤が効いたのだと思います。それこそ借金してまで読みもしない本を買い集めないと言い知れない不安に襲われていたのに、それも徐々に治まってきました。

運悪く、時期を同じくして家業が立ち行かなくなり、事実上廃業し、私は形だけの事務員となりました。加えて父が躁うつ病となり、生活はなかなか大変でした。生活費は医療保険でカバーできたものの、自分と家族の両方の面倒を見ないといけないので、私はストレスにさらされる毎日でした。

大学中退後、いろいろ就職に挑戦してみましたが、接客業は駄目でした。お客様に「いらっしゃいませー」と大声で言う練習をした時点で、ついていけずに辞表を出しました。その後、機械工場に派遣工員として勤めましたが、よい職場だったものの、私自身や父の病状の悪化が重なり、辞職しました。その後、現在に至るまで、ある非営利団体で、非常勤の事務員のような仕事をしています。

 

5. もっと早く始めていれば

現在は、病状が増悪した時に入院できるよう、別な精神科病院に移り、主治医も変わりました。薬物療法は徐々にやめていく方針で、治療を受けています。しかし、感情の暴発を食い止められないことが増えてきたため、依然として向精神薬に頼らざるを得ません。ある抗不安薬を最大用量で服用し、それでも駄目な時は、抗不安薬を何種類か頓服しています。また、量をだいぶ減らしましたが、SSRIも継続して服用しています。

人格障害と、それに随伴する諸症状は、なかなか治まる気配がありませんが、強迫性障害のほうは、一定のコントロールができるようになりました。今でも本が手元にないと落ち着かず、収入の大部分は本代に消えますが、強迫性障害に伴う不安や焦燥感は、薬で抑えられるようになりました。

今思うと、もう何年か早く強迫性障害という病名を知り、初めから精神科を受診して、適切な治療を受け、家族に対しても納得させられるだけの説明を医師にしてもらっていれば、金銭から人間関係まで、多くのものを損なわずにすんだだろうと思います。治療が遅れたために失われたのは、百万円近い無駄な本代、高校から大学にかけての無駄な時間、中退したために得られなかった大学卒業の資格と、無駄にした学費です。

また、病気に対する家族の理解が得られなかったために、特に母との人間関係に大きなしこりを残しました。両親、ことに母には、「私は人格障害と強迫性障害という病気であり、本は生きるよすがなのだ」と、何度となく説明しましたが、未だに理解は得られていません。私が本を抱えて帰ると、「またこんなに本を買ってきて」と、ガミガミ言う母に対して、一時は殺意さえ抱いたものです。

現在の主治医の先生との関係は良好ですが、先生がガイドラインに従った、薬物を用いない治療を目指すのに対し、私は薬物療法を中心に据えてほしくて、その一点で意見が噛み合いません。先生のお考えのほうが正論なのですが、患者として、うまく処方されれば症状を一発で止めてしまう向精神薬の効き目の凄さを知ってしまうと、まして5年近くも服薬を続けてきたのですから、なかなか薬物療法を止める気にはなれません。

現在、いくつかの出版社から、認知療法や行動療法の患者向けテキストが出ており、何冊か目を通しましたが、全く役に立ちませんでした。患者向けと言いつつも内容は難しく、実践も困難で、それでも試した結果、私の場合はむしろ症状を悪化させたかもしれません。主治医を信頼できるなら、自分でいろいろ試そうとせず、まずは治療を一任して、その上で生じた問題を話し合いながら、最も適切な治療法へと修正していくのが、最も効率的だと感じます。私の場合、薬物療法が最も効果的でした。

これまで強迫性障害とつきあってきて感じるのは、長期にわたるストレスへの曝露が、病気の根底にあるらしいということです。ストレスがじわじわと心身を蝕み、徐々にストレスへの耐性が低くなり、耐えられなくなった時にプツンと、強迫性障害が始まるのだと理解しています。しかし、ストレスから逃れるのは難しいものです。結局、症状を自覚したら、躊躇なく専門家の診察を受け、必要なら早期に服薬を開始することが、私のようにならない一番の方法であるのだと思います。