トップOCDコラム > 第30回
OCDコラム

OCDコラム

【私のOCD体験記】 第2回 きんもくせいさん
そのままで生きてほしい! ―我が子の強迫性障害―


私は、2人の息子をもつ平凡な一人の母親です。14年前、長男が幼児期に強迫性障害を発症し、それからはこの病気とどう付き合い、どう暮らしていけばよいのか試行錯誤のくりかえしでした。何かの一助にと考え、あからさまに体験をお伝えしたいと思います。


1. 生後10カ月のある変化
2. おむつを拒否する
3.  <こだわり>と<かんしゃく>と
4.  不登校。長い絶望のトンネルへ
5.  極限状態の家庭生活
6.  病院・養護学校との出会い
7.  支えのなかで
8.  生きてほしい!
9.  10代となって
10.  セルフヘルプの力を信じて


1. 生後10カ月のある変化

息子は、胎児のとき、私のお腹のなかでもとにかく多動でした。はじめての子ですので、その時はわからなかったのですが、夜中でも、いつも動いている感じでした。安産だった出産後も、そのままの延長でした。だっこすると身体を固くしてよじって嫌がり、ひざに抱いても、大げさでなく30秒もじっとせず、夜泣きもすごく、真夜中に3~4時間抱いてあやしてもおさまらないこともしばしばでした。神経過敏で、活発で、喜怒哀楽のエネルギーをたくさんもっていて、育てにくいと感じ始めていました。

10カ月で歩き始め、ますます動きが活発な1歳になる前、変な繰り返しを始めたのです。赤ちゃんにはたまにあることらしいのですが、それがとても執拗で、印象的に覚えています。昼寝も嫌がり、夜も寝つきが悪いのですが、寝させようとすると布団やタオルケットを隅々までピーンと伸ばし、床にひろげ、自分の体をそれにもぐりこませると、当然しわが寄るのですが、それが気に入らず、かんしゃくをおこして、まるで取り憑かれているように何度もやり直し、またかんしゃくのくりかえしでした。私が教えたのでもなく、また途中で手を出すとひどく怒るのです。そのときは、少し大きくなると変わるだろうと、あまり気にしませんでした。

遊びについても頑固で、同じやり方の遊びや、ビデオなども同じものの同じ場面にこだわり、没頭して繰り返し要求しました。公園通いも日に5~6回はざらで、もう充分に遊び疲れたように親は感じるのに、「まだ!  もう一回」と、家事ができないくらい振り回されていました。ぐったり疲れて眠るということはほとんどなく、どんどん興味の先に突っ走り、物事を次に流せないのです。

母親として「あれ?  少し変だな」と思うことも多くなりました。たとえば、おもちゃのミニカーを直線に並べようとします。部屋の真ん中に座布団を置いて、その上にもきちんとミニカーを乗せたいらしく、段差で列が乱れてしまうと、その傾いた1台だけでなく、せっかく並べたミニカー全部を最初から並べ直すのです。ちょうど偶然に割り切れるかどうかを試すように、また同じところでパニックを起こす連続です。息子の行動は、性急にやり遂げなければならないというような過度の何かに満ちていて、そういう様子を見ながら、私は接し方に苦慮し、毎日がだんだんと重苦しくなってきました。

何かの拍子で思うようにいかないと、火がついたように泣き続け、座りこんで腕を上下に振り下ろし、体を中に浮かせて床に打ちつけ、いつまでも止まりません。2人目の子を身ごもる私への心の表現だろうと思い、愛情をかけようとするのですが、とても頑なで、言葉もしゃべれない我が子がいったい何を要求しているのかわからず、「どこがいけないのだろう」と、母親としての自信も失くし、胸を締めつけられるような毎日でした。


2. おむつを拒否する

そんな日がだいぶ過ぎたある日、当時住んでいた高層マンションの、人が入れない中庭に、部屋からお気に入りのおもちゃだけを落とすことをやりだしました。拾ってきてもまた同じようにやり、諭してもきりがなく、かんしゃくを起こして何度もそれを要求します。1歳8カ月になったそんなある日、突然、自分の肌につくものを一切拒否したのです。トイレトレーニングもまだしていないのに、オムツをすることに強く抵抗するので、いつも真っ裸でした。眠っているうちにオムツをしてやっても、過敏に起きて、それを剥ぎ取るのです。

本人は熟睡ができず、いつもいら立っていて、私が世話をしようと手を近づけただけでとても怒り、何かにつけて自分の指先を左右互いに手でつまんで、砂を払いのけるような仕草を続けるのです。顔つきも変わってしまい、笑顔を見せなくなりました。排泄の仕方も独特で、排泄物が自分につかないようにして、どこにでも出してしまうので、私は部屋中にシートを敷き詰め、一日中その処理に追われていました。

その頃、ご近所の同じ年頃の子育てをしているお母さんからのアドバイスで、はじめて児童福祉センターの小児科に行き、また大学病院の精神科まで診てもらいに行きましたが、「大丈夫です、なんともないですよ」と言われるのです。「不安が大きくならないように、ともかく要求を最大限叶えてやること」という医師からの指示があったので、本人が「乗り物が見たい」と言えば、私がタオルで股間を押さえて排泄物を受けとめながら、何時間も一カ所から離れない息子と一緒にバス通りを見続けました。

子育て仲間のご近所にも裸で出入りさせてもらいました。3カ月ぐらい経つと、一緒に遊ぶ他の子たちが服を着ていることを実際に見たおかげで、いくら諭しても無理だった着衣ができるようになり、トイレも徐々におまるを使って出来るようになり、半年後くらいになってやっと落ち着いてきたのです。今は、この時が初めて起こった強い不潔強迫の症状だったのではないかと、当時の息子の行動を理解しています。


3. <こだわり>と<かんしゃく>と

その後も息子は、きっちりしていて、何事にも出し過ぎるくらい全力を出し、自分でお利口にしようとしていたように思います。自立も早く、甘えることが苦手でした。少し特徴的なこととして覚えているのは、言葉が出るようになった3歳頃、体を左右に揺らして、思っていることを早く言い尽くしたい感じで、話に余裕がありません。こちらが話を中断したり、本人に集中して聞いていないととても怒り、頭にふと浮かんでいること以外は手につかず、必死なのです。また、自分が誰よりも真っ先にとりかからないと不安なのか、家族が先に玄関を開けて待っているという状況でも「待って、まだ絶対待って!」などと、毎回極度に心配しました。人から遅れる、自分が出来ないということに対して、不必要に敏感でした。

色や形へのこだわりはすごく、ブロック遊びなどにも妥協がなく、5ミリほどの1つのパーツを大騒ぎして家中探させられたりしました。絵や図工の作品も並べ方や作り方にこだわり、移動禁止の作品に部屋が占領されました。靴の色や形にも強くこだわり、それを持っていないことが我慢できないので、なんとかして手に入れるまで、容赦ないかんしゃくが続きます。友だちが持っているものにすぐ影響され、そのおもちゃの収集を全部制覇する勢いです。ないと「今すぐ世界中を探してでも絶対に要る!」とすさまじく暴れ、「ごねる」などという表現では表せないくらい、発作のように真っ赤な顔で体を周りに打ちつけて訴えるのです。そうやって手に入れた物がお気に入りで新品であればあるほど、人に触られたくないと訴えるのです。

息子が不慮のケガや病気をすると大変でした。一時的にでも自分が食事や入浴ができないことを認められず、強く抵抗して、家族も同じようにしないとかんしゃくを起こします。仕方なく、家族は隠れて食事するしかありません。おかしかったのは、他人がそばにいるとこだわりも治まり、親の言うことをきいて普通にできることでした。主人に対しても同様で、私にばかりわがままをぶつけるので、私が母親として育てる力が未熟で、何かの理由で子どもがわざとやっているのではないかと考え、年齢とともに変わるだろうと、たかをくくっていました。

実際は、この頃から、さらけ出せない人間関係では普通にしなければと、必死にコントロールしていたようです。幼稚園でもお行儀がよく、集団にもすすんで入るのですが、ちょっとしたことでひっかかり、かなり心配性で、授業中に何度もおしっこに行きたくなるほど緊張も高かったようです。お友だちや園の先生との関係でも神経質で、色々な場面で「もし……ならどうするの?」と、周囲の人に同じことを同じ言い方で、しつこく質問するのです。

年少の5歳頃は、特に衝動的な行動が目立ちました。ずっと家に居る弟への嫉妬まじりの気持ちもあったのか、園でのストレスをぶつけるように、急に無関係なことで弟を執拗にやりこめたり、いらいらして弟の顔や耳に爪を立てたり、時には首をしめるような攻撃もし、その時は顔も別人のようでした。

こだわりはますますふくらみ、理由をつけて祖母や主人から買ってもらう約束を取り付け、物へのこだわりを達成しようとするのです。暴れ方がすごく、あたりまえの日常生活ができず、近親者からは母親としての育て方を責められ、私はいら立ちの連続で、親子関係でも症状に対して火に油を注ぐ状態になりました。児童福祉センター(児童精神科)も受診しました。園の先生にも相談し、しばらく不安を解消するような工夫を協力していただき、どうにかこうにか年長の頃に落ち着き、卒園することができました。

こういう子育てを通して、私はいつも自分を責めていました。息子は視覚的にインプットされた情報が強烈で、どうしても妥協しないのにはこちらが困惑します。それもこれも全部私の愛情が足りないから……と、息子の心を汲もうとしても、なにかしらうまくいきませんでした。


4. 不登校。長い絶望のトンネルへ

結論的にいえば、息子の強迫症状は、目にみえない強烈な力をもって生活を押しつぶしていきました。どんな気持ちになってどんな行動をとるのか、だいぶ後になってから、医師の指導で、場面ごとに息子の経験した刺激やそれに対する結果を書き出し、考えてみました。すると、《マイナスになること》が不安でたまらないというか、《完璧強迫》ともいえる、一つの無意味な法則を持った強迫観念に、息子は支配されていると思えてなりませんでした。

小学生になり、始めは生活によくがんばっていましたが、今思うと、過剰に適応しようとしていました。数カ月も経つと、いら立ちを家でぶちまけるようになり、泣きながら訴える話の内容は、「そんなふうに考えなくてもいいのに」という、たわいもないものに必死なのでした。字を十何回も書き直したり、友だちの言動などもさらっと流せず、テストでよい点を取っても、取れなかったマイナスの点数が自分で許せず、その原因を理不尽に追求するなど、些細なことに考えが引っかかり、幼稚園時代にもあった、家族への抑えられない攻撃もするようになりました。

学校の先生とも常に連絡を取りましたが、先生はとてもよく動いてくださり、子どもの気持ちを聞いてくださいました。児童精神科にも親だけで通うしかありませんでしたが、医師もその時点では、軽度発達障害との兼ね合いなどで、明確な診断がつけられなかったようです。

そんな頃、家族で出かけた時に、本人の目の前で、私が足首を骨折し3カ月も入院してしまいました。母親不在でも、本人は学校生活を完璧にしようとしていたらしく、一日も休まず一生懸命でした。私には、「すべてお母さんが悪い」と怒りをぶつけていました。前述のマイナスへの恐怖の観念があるのか、不安が高じて、準備や確認に強迫的になり、出かけるのも不必要に早く出発して、どこかで余りの時間を待ち、起床時間も「もっと時間がないと心配だ」と言って絶対的に自分に課し、2時間前、3時間前とエスカレートしていきました。

決めた時刻に数秒でも遅れると、完璧からのマイナスが増えるのでとてもパニックになり、家族は経験上、それに従順に対応してしまい、症状を強化してしまった面もありました。当然、本人は生活リズムを崩し、頻尿や過敏性大腸などの身体症状を出しても、まだ無理を重ねたのです。まず出てきた症状は、ツバが呑みこめなくなり、学校から帰ると口いっぱいにツバをためていて、迎えた家族の前で吐き出したり、家の中でもごみ箱などに吐き出しました。人が自分のそばを通ったり、視線なども気になると、他人が見ていないところで、ずっと吐き続けるようになりました。

夏休みも友だちと毎日遊んでいましたが、また少し変わった仕草が始まりました。何か遊びの流れが変わると、自分の人差し指をなめ、それを動物のマーキングのように、家族の、特に弟の首の後ろにつけるようにするのです。それを頻繁にやります。さらに、皆のやることに神経をピリピリさせて監視するような動作になり、何もかもが気になって、《物事をそのままにしておくこと》に固執し始めました。他人には一切何も触って欲しくなく、見えないマイナスの矢が気持ちに刺さっているかのようでした。

もちろん人と接することもできなくなり、すぐに普通に遊べなくなり、夏休みが終わってもそのような状態で、完全に不登校になり、学校に行けない罪悪感も増し、長い絶望のトンネルに入ってしまいました。


5. 極限状態の家庭生活

10歳までの3~4年間は、あまりにも理解の範囲を超えた"強迫"の加速度に家族もついてゆけず、本人は世の中すべてを敵に回したようにも感じられ、症状が一気にふくらみました。「自分が一番に!」というこだわりで「ぼくの言うこと以外で勝手に動かないで」と訴えるほどになり、家族は風呂の使用を禁止され、本人は家の中でよく水をかぶりました。夜中の3時くらいまで家族に依存して、一つのことを何十回も繰り返しました。いろいろなことを家族に強要し、トイレや洗濯のやり方まですべてに細かく、四六時中こだわり続けていました。

私の骨折事故に関連があるのかもしれませんが、この時期から特に気にしていたのは"裸足"と"人の息"でした。テレビ番組の中の怖い話や、虫や、微量の匂いなどにも敏感で、異常に気にしていました。息や何かの刺激で空気が動き、汚されて「マイナスになった」という考えに終始しました。自分を取り巻くものすべてが、漂う空気でさえ安全できれいだとは認めることができません。

自分の大切なものがあるスペースにこだわり、息が飛ばないように、家族は手と顔以外に肌を出すことはできず、ぶ厚い靴下にスリッパも履いて、布団の上もどんなところも間違いなく踏みしめて歩かねばなりません。踏みそこなって1ミリでもずれると、大変なパニックが待っています。家族の頭の上から、ツバで清める儀式をせずには、次には進めません。その1つのマイナスで、究極までエネルギーを使うようにのたうちまわり、殴り、蹴り、物にあたりたおし、暴れました。

家族の居ることのできるエリアは制限され、その出入り口を開閉するたびに、全員が空気を追い出すための仰ぐ儀式をしなければなりません。私たちは頭からタオルをほお被りし、マスクを何重にもはめて、立ちすくむように生活し、数え切れないくらい何度もツバでびちょびちょになっていました。洗浄儀式は1回やれば気が済むのですが、生活の全場面でマイナスをプラスにしようとするので、隙間なく儀式をやっていくようになりました。

空気を自由に動かせない空間で、どうやって生活するというのでしょう。また着衣もできなくなり、まるで獣のように裸で放尿、脱糞して、ツバの吐き溜め場をあたりかまわず作るようになりました。家族に、「床が汚れるから、皆トイレの前の1メートル四方の場所に立って寝てほしい」と懇願するのです。本人のテリトリーは家の中でどんどん広がって、手をつけられず、そのテリトリーや、動いている本人と空気が触れた感じを起こさせたり、そちらの方向を向くことさえ許されません。遠くからでも息が飛んできて、空気が汚れたと、尋常ではない苦しみ方で訴えては、強迫儀式を重ねました。

八つ当たりや家庭内暴力もあり、同時に、カードのパッケージまで捨てずに溜め込んだり、マンガ、おもちゃ、飾り、食べ物などにこだわり、洗浄行為や収集強迫も強まっていました。それも、「他人の息がついたので、もう1個」というように、無意味に複数を手に入れていました。後に本人が言うには、頭の中の強い考えは圧倒的で、収集をそれに負けないぐらいの勢いでやってそれをパ~ッと消すのだと思って、エスカレートしたというのです。どれも症状の一端ですが、生活のすべてにおいて、枚挙にいとまがありません。生活能力が確立していない子どもの強迫症状は、家族を巻き込んで一体化してしまいます。

こういう状況のなかで、息子には激しい希死念慮がありました。本人は自分の無意味な強迫行為が家族を巻き込み苦しめていることをわかっていて、
「俺の脳ミソはぶっ壊れてる!  死んだほうがましだ!」
と、目を血走らせて行動に走るのです。なかなか眠ることができず、固くうずくまっていると思えば、頭をそこら中に打ちつけて、包丁を荒探しし、何度もお腹を突こうとしたり、車に飛び込もうとしたり、衝動的に何をするかわかりませんでした。

家族は一瞬も目が離せず、常にはりつめた気持ちで、日々刻々極限状態の連続でした。世間から隔離されていて、玄関も開けられず、音も立てられず、電話に出ることも、他人と接することも出来ません。完全に孤立していました。


6. 病院・養護学校との出会い

何カ月かが経ったとき、なんとか打開しようと、民間のフリースクールなどを探し、まず親だけが相談に行きました。本人も行ってみようとするのですが、移動することができません。見るもの聞くもの、充満する情報全部が強迫の引き金になるのです。どこに行くのも家族全員が揃うことにもこだわり、一人でも欠けるとマイナスになると言って、切り離しての交代もできず、家族の自由意志を尊重することも容易ではありませんでした。本人が動けば動くほど、越えるべきハードルも高くなります。本人も自己の不合理な衝動を越え、家族も大変な協力をして、行動力を少しずつつけていくしかありませんでした。

そんな頃に、立ち直るきっかけとして、週1回、市からメンタルフレンドに来てもらい、ありのままの息子とつきあってもらうことができました。一緒に好きなCDを聴いたり、ギターを弾いたり、兄貴的な存在として温かく見守り、息子の存在を認めてくれていたようです。ともかく息子と一緒に呼吸してくれた感じです。

強迫については「なぜ触ったらいけないのか僕にはわからないけど……ここにこうして居るのだから」と、そのままを受け止めてもらい、その方のそういう気持ちに安心して、本人も家族から離れて動けるようになりました。この出会いは大きいものとなりました。

このような状況で過ごしていたとき、弟が、巻き込みを受け続けたしんどい気持ちを身体症状で示すようになりました。乾いた咳が止まらなくなり、あまりに続くため、小児科、気管支科と病院に診せたところ、口を揃えて「おうちに厳しい人が居ませんか?」との言葉が返ってきました。それまでも鼻すすりや、顔、首、背中に何種類ものチックを出していましたが、連続して出る咳は、体力をとても消耗します。

このようになるまで弟のケアを実行できないほど大人全員が兄の強迫症状に振り回され、圧倒されていましたが、このサインは絶対に見逃せないものでした。このままではいけないとの危機感もあり、児童福祉センターから紹介されて、入院のできる市立小児T病院・併設のT病弱養護学校に初めて相談に行ったのです。

その後、一時期は兄弟同時にもお世話になりましたが、まず長男が先に入院のお世話になることになり、お試し入院から始めさせてもらいました。親子同室寝泊り、少しの時間から親と子が離れる練習……一人で長時間過ごす練習……という具合に、順々にしていただけたのはとてもありがたかったものです。本人はそれでなくても抵抗感が強いところに、非常な緊張と、外では強迫観念を隠そうとする本人の気持ちがあり、その相互作用で、家族との空間での症状はとても強まりました。それでも私は、「風を入れることができた、一歩進んだのだ、もうあの地獄には戻りたくない」という気持ちで凌いでいたように思います。

「家族全員を、誰一人も倒れさせるわけにはいかない!」
と、私が気負えば気負うほど空回りして、病院に繋がってもどうなっていくのか、先がまだ全然見えないような時期でした。徐々に、ぴったりと隙間なく強迫にまみれていた状況から、ちょっとずつ間隔をおいていけるようになりました。巻き込まれる時は容赦がありませんが、行きつ戻りつという距離感ができ、毎日余裕もなくへとへとになっていた気持ちに少しできた隙間がこんなにありがたいのかと感じました。


7. 支えのなかで

この間、私は自分と息子のことをさらけ出してみようと思える人たちにたくさん出会っています。それまでは、こんなことは誰に話してもわかってもらえまいと思い、孤立し、また少し話してみても無理解に打ちのめされ、胸の底から無力感があふれ、気持ちが切られるような経験を何度もしていたので、半ばあきらめていたのでした。

病院の先生方のやさしい笑顔や、看護師さんの厳しくも温かい眼差しや、お声かけをたくさんいただきました。病院の廊下をすれ違う方々のなんとも言えぬ微笑みに救われ、少しのことでも、何かしらこんな私をここにいさせてくれるという"許し"の感覚に満ち溢れていました。私は病院の先生や看護師さん、学校の先生、またPTAの保護者の方々をつかまえては、家と外での落差のある日々の状態や、小さい頃からの様子などを、堰を切ったように、涙と一緒に思いを吐き出させてもらいました。私の話によくあれだけつきあってくださったものだと、今思えば頭が下がります。幾度となく流した涙も、ためないで流してよかった、などと思えます。

そのようななかで、よく看護師さんに言っていただいたのは、
「私たちは、親子や家族が機能していくようにお手伝いさせてもらうのです。なんでも言ってくださいね」
とのお言葉でした。

家族の機能を取り戻す!
母親の私が生活を回していくという自覚も持てていなかったので、安心のなかにも、気持ちがシャンとしたのを覚えています。また、母親としての心構えや、強さなども、折々にご教示いただきました。病院・学校の皆様には、ボロボロになっている私自身が、時間をかけて心のほつれを縫う機会をいただき、人間として一から育てていただいたのだと実感しています。


8. 生きてほしい!

病気治療という点では、まだまだ進んでいなかったこの頃、進んでも壁、また壁という感じで、苦しさはまた格段でした。薬は、強迫性障害の治療薬とされる新薬の抗うつ剤は、児童期投薬が許されず、当時の処方薬では、症状を改善する前に副作用に強く襲われていました。本人もとても苦しかったことでしょう。希死念慮が強い子どもにとって、何かの変化や衝撃的事柄は耐えられないことでした。

10歳のある日、本人にとってどうしても耐えられないことがあり、「病気は治らない!  生きてはいられない」という気持ちに押しつぶされ、大きな出来事を起こしてしまいました。私はそのことを通して、我が子の苦しみの深さを改めて知り、とにかくどんな状態でも、無条件にそのままでいい、生きて欲しい!  と、心から願うようになりました。このことは、図らずも、本人をとりまく治療構造を進歩させることとなりました。新薬の治療も始めることができ、周囲の理解も変化させることになり、命をかけて奇跡を起こし、本人が状況を拓いたのだと、今もって不思議な気がしています。

そのことでは病院・学校の関係の方々にご迷惑をおかけし、言い尽くせぬお世話になりました。今もって忘れることはできません。絶対に戻れない状況であろうにもかかわらず、病院・学校の方々は、再度息子を受け入れてくださいました。どんなに感謝してもしきれません。そして、一緒になって症状と向き合い、息子がなるべくそこに居やすいようにと環境調整をしてくださり、押したり引いたり、積極的に治療共同体として動き助けていただきました。症状の変化も激しく、浮き沈みのある状態を、いつも見守ってくださいました。

「子どもたちが子どもたちを治す」
と、T病院の院長先生がよくおっしゃいます。私が病院に接して初めに感じた安堵感と同じように、子どもたちには、病気や障害の違いを超えて、本人同士だからこその認め合いや心の通じ合いがあるのでしょう。息子の強迫症状も、家とはコロッと変わり、昨日まで出来なかったことが、病院では友だちとの寄宿生活のなかでスっと出来るようになったり、見えない力が働いていると感じます。

子どもは病院や学校の大人たちと触れ合うなかで、多くのことを教えていただき、社会生活のスキルを学ぶことができました。昼間の大半を過ごす学校のなかでも、息子が自分自身をさらけ出せる先生方に受け入れられ、根気強い、きめ細かな個別対応で、本人の力を引き出していただきました。そのおかげで本人も生きる自信がつき、心も体も大きく成長しました。現在は、自分の個性を自分で受け入れて、少しずつですが、広い社会への旅立ちの準備をしているようです。


9. 10代となって

息子が11歳のときに、『発達の偏りを基にして幼児期に強迫性障害を発症した重度例』という診断がつけられました。課題も明確化し、家族も含めた周囲全部が本人の強迫症状に対して対応力をつけました。本人とともに情報を整理したり、行動の見通しを決め、生活の整備を心がけられるようになりました。

息子は現在、家で家族と共に暮らしています。これまで強迫症状も移り変わり、対象は変わっても、何かに対して強くこだわるエネルギーは、小さい頃から変わらないようにも思います。10代の今でもそうなのですが、特にストレスが高いときに情報の刺激があると、不安のスイッチが入り、強迫的に行動してしまいます。本人は、家族を巻き込み、家で衝動的なことをしたりすると、大きな自己嫌悪にさいなまれるようですが、そうしてでも強迫的な行動をやり遂げないと、「気になってほかのことに手がつかないし、不安で世界がひっくりかえりそうになる」と言います。そんな症状をコントロールできるように、さまざまな面で本人がすごく努力してきたのだ!  と誇りに思います。

今では、あのひどかった不潔強迫はほとんどなくなり、症状は以前に比べかなり軽減しました。最近の強迫症状は、あれもこれも、きちんと、また最初からやらねば……と確認が始まり、完璧強迫も出て、生活時間が主体的に組み立てられず、生活の大まかに決まった時間枠を大幅に崩してしまうというものです。まだまだ渦中ですので、社会生活をしていけるように、自己管理力や人間関係力などをつけていくためには、さらなる鍛錬が必要です。親は本人が行く道には回り込まずに、そっと背中を見守りたいと思っています。


10. セルフヘルプの力を信じて

これまでたくさんの出会いと、多岐にわたる支えをいただき、セルフヘルプの力を教えていただいたと思います。それは具体的に言えば、人間として、さまざまなことを認め合い、許しあい、分かち合い、次へのステップは自分が知恵を出し開いていく! という、まさに皆で産み育てをしてゆく強いパワーではないでしょうか。

「明日があるさ!」と笑い飛ばしていけるような力、未来を信じる力、そういうものを、知らず知らずにいただいてきたように思います。このことは、我が子の病気に直面する以前には考えられないような、すばらしい心の財産となっています。いくらお金があっても体の健康が保証されたとしても、目に見えない心の奥底に積もる財産よりほかに、人生を大きく輝かせていくものはないのですから。子どもたちのおかげで、かけがえない宝物を得ることができました。病気を抱える子どもに感謝しています。

この十数年、母親としてどうすればよいのか?  という日々の連続で、我が子に起こっている事実を受け入れるのに時間もかかりました。病気だからと片付けて逃げるのでなく、正しく実態を理解することからしか始まりません。我が家にも今後、いろいろな壁が続くでしょう。その都度、最大に心を尽くしていこうと思います。

ここに書いた我が子の体験は、ほんの一部です。強迫症状を抱える子どもたちは、一人ひとりケースが違います。研究も進歩するなかで、治療も進んできましたが、同様の強迫症状に悩む当事者家族が多いにもかかわらず、情報が少なく、社会の理解が薄いことによる困難も痛感します。セルフヘルプの力を信じて、子どもの強迫症状を抱える当事者家族と支援者が集う自助グループを立ち上げたのも、私自身が切実に必要性を感じたからです。やっとわかり合える人に出会えた! という喜びで、当事者家族同士が自由に交流しています。こういう傾向と個性をもつ子どもたちが、社会全体から守られるよう啓発し、家族も共通の体験から得た知恵を毎日に生かしていけるよう、情報交換を行っています。

今思うと、私たち家族はとても幸運だと感じます。今日に至るまで、どんなにたくさんの人たちに手を差し伸べていただき、背中をさすって励ましていただき、後押しをしていただいてきたことでしょう!  心から感謝でいっぱいです。その恩返しのためにも、私たち家族全員が希望をもって、「生きていて良かった」という人生を、一歩ずつ生ききっていくのだ!  と決心しています。夫婦も親子も、このことを通して絆がより深くなりました。関わってくださいましたすべての方々お一人おひとりに、深い感謝をもって御礼を言いたいです。
「ほんとうにありがとうございました!  これからも未来に向かって進んでいきます!」



■子どもの強迫(OCD)友の会 ホームページ
http://homepage3.nifty.com/reno/