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第148回 OCD体験記 私は私の道を行こう


今回のコラムでは、「小さなことが気になるあなたへ」のwebサイトにお寄せいただいたOCDの方の体験記をご紹介します。確認や加害恐怖といった症状に苦しめられていたびーばーさんが、どのようにしてOCDという病気と向き合い、折り合いをつけていったのか……。さらに、OCDの治療と並行しておこなった不妊治療、悩みながらの生活のなか、「私は私の道を行こう」と考えるに至った体験を教えていただきました。なお、本文中に記載の治療は、あくまでご本人のお考えのもと行われたもので、すべての皆さまに推奨しているわけではありません。


目次
§1 念入りな確認、加害への恐怖
§2 OCDということがわかって、受診
§3 薬物治療の開始
§4 薬物療法による改善と再燃
§5 そして、子どもに恵まれて


§1 念入りな確認、加害への恐怖

私がOCD(強迫症)と診断されたのは、2008年のことです。確認行為、加害恐怖に疲れ果て、心療内科を受診したことでわかりました。

専門学校を卒業後、ホテルに就職し忙しい毎日を送っていました。ホテルを退職して、ハワイに短期留学し帰国後はバイトをしながら趣味のフラダンスを続けていました。祖母の介護が必要になってからは、休みのたびに施設入所した祖母に頻繁に会いに行き、自らもバイトを辞めて介護士となって働いていました。忙しいながらも充実した毎日を送っていたのですが、ちょっとしたきっかけでパニック障害になり電車に乗ることが難しくなりました。そのときは、会社の先輩が朝晩の通勤に付き添ってくれたこともあり、いつしかパニックも消えていきました。

祖母が亡くなり、当時婚約者だった主人との結婚準備が進む中、仕事では激務と人間関係に悩んでいて、気持ちに余裕がない時でもありました。

その頃からです。退社後の帰り道「おしぼりウォーマーのスイッチを切ったか?」「コーヒーメーカーのスイッチは?」「IHコンロのスイッチは?」と気になるようになり、残業している人に電話で聞いたりと確認行為が増えていきました。

そして、それは突然やってきました。
2008年の夏、地元の花火大会に行ったときです。帰ろうとする私たちの反対方向からもたくさんの人が歩いてくるのですが、すごい人混みで、正直イライラしていました。そんなとき、小学生くらいの男の子がこちらに向かって走ってきました。私、その子が走ってくるのは見えていたんです。それなのに避けませんでした。案の定、その子は私にぶつかって尻もちをついてしまいました。その場を去った後に、ある思いがわいてきました。
「あの子死んじゃったかも……」

そんなことが頭に浮かんでしまってからの私のパニックぶりがひどくて、見かねた主人が現場にいっしょに戻ってくれました。そこには誰もいなく、救急車がきた様子もなく、さっきまでの喧騒が嘘のように静かでした。主人からも「大丈夫だよ」といわれたのですが、不安な思いは治まりませんでした。該当するような事故はなかったか、友人が警察に問い合わせてくれ、「あなたが心配するような事故はなかったみたいだよ。安心して!」と友人も言ってくれましたが、何日も気持ちがふさいでいました。

その後も現場近くの交番に確認にいったり、管轄の警察署に問い合わせしたりしました。
一度は不安が薄らぎ、安心したのもつかの間、自分ではない誰かが耳元でささやくように不安が襲ってきたのです。

「現場では怪我がわからなかっただけで、自宅に帰ってから大変なことになったのかも」
ズドーンと大きな穴に落ちた気分でした。これを機に、いくら確認しても納得することができなくなりました。交番に伝えた連絡先を間違えたため、連絡が来ないのではないかと、再び交番に電話したり、何度も男の子とぶつかった場所に戻ってみたり……。

私の変化に主人や友人がおかしいと感じ、心療内科への受診を勧められました。心が疲れきっていましたし、自分でも心のなかで何か大変なことが起きているという感じはありました。

その頃、ケアマネジャーの試験勉強をしていた友人から、私の症状が「加害恐怖」というOCDの症状とぴったりだと連絡がありました。「加害恐怖」という言葉を調べてみると、「自分が人に危害を加えてしまったのではないかと真剣に考える。しかし、現実にはその可能性が非常に低いことも自分自身でわかっている」といった説明が書かれていました。まさにその通りです。ネットで調べてみると私と同じように悩んでいる人がたくさんいることを知りました。

§2 OCDということがわかって、受診

OCD、強迫性障害。
これで、すべてがつながりました。
自転車に乗っているとき、なにか轢いてしまったのではないかという心配、ここ最近の症状……。

病気とわかって少し安心しましたが、だからといって、「病気だから仕方がない」と割り切ることもできません。なんとか今の苦しい状態を打破したいと、心療内科を探しました。自宅から通いやすくて、評判のよいクリニックを慎重に探しました。1軒目電話をしたところ、予約がいっぱいで新規の患者さんはすぐには診ることができないといわれてしまい、見放されたような気分になり落ち込みました。それでも何とか這い上がりたい一心で、次を当たりました。ちょうど空きがあるということで、予約をして行くことにしました。

クリニックに行ってみると、待合室には溢れかえるほどの多くの患者さん。先生は優しい雰囲気の方で、カウンセリングに時間をかけてくださいました。ただ、パソコンばかり見ていて、こちらを見てくれないので、自分のすべてを話す気持ちになれずに委縮していました。結局、このクリニックには1、2回しか行きませんでした。

次に、家から遠いけれども評判がよいクリニックに行きました。2、3回行った頃に、「治療でここまで来るのは大変だから、お近くのクリニックに通われたほうがいいですよ」と先生からいわれました。穏やかな声で、真剣に目を見て話してくださいました。そして、最初に電話をして予約がとれなかった近所のクリニックにもう一度電話をしてみました。ちょうど予約に空きがあって通うことになり、その後長くお世話になっています。私の目を見て、私の言葉にうなずきながら耳を傾け、受け入れてくれる先生なので、安心して心を委ねることができました。そして、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を中心にした薬物療法が始まりました。

§3 薬物治療の開始
SSRIと抗不安薬を服用してしばらくすると、自転車に乗っていて何かを轢いたんじゃないかという不安がなくなりました。その頃、新しい職場に移ったので、そちらに気持ちが向いていたということも強迫症状が落ち着いた要因だったかもしれません。また、新しい職場の上司が心理カウンセラーの資格をもっていて、OCDについても理解があり、適切なアドバイスをいただけたことはとても幸運なことでした。ズドーンと大きな穴に落ちたような気分になった花火大会の日の出来事も、だんだん薄らいでいきました。

服薬をしてしばらくするとだいぶ楽になってきました。その頃、先生から「森田療法」という精神療法を教えていただきました。薬に頼るだけではなく、少しずつ自分自身で心をコントロールしていく準備を許されたようで嬉しい瞬間でした。

治療を開始して3年目、症状によって減薬したり、また増やしたりとしてきました。その都度私の心も揺れましたが、強迫観念をしまいこむことがだいぶできるようになってきました。

§4 薬物療法による改善と再燃

ある時、先生からも「もう、薬は必要ないと思います。大丈夫でしょう」といわれました。本当にうれしくって、いままで心配してくれていた主人や友人もみんな喜んでくれました。
その夜です。主人とドラマを観ているときに、あの強迫観念が浮かんできたんです。
「やっぱり、花火大会の夜にぶつかった男の子、転んだときに頭を打って大変なことになっているかもよ」
撃沈です。倒れ込んで泣きました。
パニックになり強迫観念を消そうとすればするほどひどくなることを、この数年で理解してきたはずなのに、どんどん強迫観念にはまっていきました。

服薬再開。そろそろ子どもが欲しいと思い初めていたので、薬の再開には落ち込みました。しかし、これをきっかけに主人がこの病気について深く理解しようと勉強を始めてくれました。そこで、産後うつなども診ている先生のクリニックを訪問し、セカンドオピニオンを求めました。

OCDで薬物治療をしていること、子どもを望んでいることなどを含め、これまでの経緯をお話しました。その日は漢方薬を処方してもらいましたが、効果が実感できないまま次の受診になりました。2回目の診察で、セカンドオピニオンの先生から意外なお話を聞くことになりました。それは、薬物治療を続けながら、子どもを産むということでした。私にはまったくない考え方でびっくりしました。セカンドオピニオンに行って考えが広がりました。

主人と何度も話し合い、主治医ともじっくりお話しました。主治医は、「出産・育児はよい心の状態で臨んでほしいが、そのタイミングは今ではない」というお考えでした。再発したのは秋でしたので、とりあえずその年はOCDの治療に専念することになりました。

年が明け、主人とこれからのことを話しあい、婦人科を受診し、2人の先生に診ていただきました。最初の先生は「大丈夫」といってくれたのですが、もう一人の先生からは「薬が赤ちゃんに影響を及ぼすリスクが数パーセントでもあることを理解しておいてください」と説明を受けました。

私の頭に浮かぶ強迫の観念は、なかなか消えることがなく、駅のホームを歩いていて、ちょっと鞄が触れただけでも、「あの人ホームに落ちたのでは……」と思ってしまい、別の駅で起きた人身事故でも、自分のせいのように感じて恐怖でした。病院ではSSRIの量を増やすべきといわれたのですが、子どもが欲しいのでためらいました。薬の効き目に頼っていては、本当の意味での改善が得られないように思ったのです。強迫観念さえ無視することができたら、絶対に今の状況から抜け出せることはわかっていました。何かあったときに「どうしよう!!!!」というのではなく、「ま、いっか」と思えるようにしてみようと思いました。その後、主人が心の風邪をひいてしまったり、私のOCDが悪化したりいろいろありました。

§5 そして、子どもに恵まれて

OCDと診断され、病気と向き合うようになったのが、2008年。
薬の効果で症状が改善され「服薬終了」といわれた日に、また症状が悪化した2011年。
子どもを望み婦人科を受診したのが、2012年。
不妊治療のクリニックを受診したのが、2013年。

「妊活」3年目、少し不妊治療にも疲れてしまい、お休みしようかと思っていた矢先に、私のお腹の中に赤ちゃんがやってきました。セカンドオピニオンの先生の話を聞くまで、OCDの治療をしながら妊娠出産をすることは考えてもみませんでしたが、妊娠期間中も産婦人科の先生、心療内科の先生とよく話をしながら出産直前まで服薬を継続し、無事に2015年春に出産しました。

出産の少し前から現在もOCDの薬は服用していません。出産直前から産後数か月、とても苦しい時期がありました。ただ、確認したいことがあっても、娘の育児に奮闘していて我慢しなければならない状況だったため、症状は改善していきました。

現在は仕事復帰や実家の母のサポートのため、娘は保育園に入園しました。慣れない生活に頑張っている娘を見ていると、なによりの活力になり、自分も踏ん張ろう、気になることがあっても、娘が見ているからちょっと我慢……と思えています。服薬をしながら出産することについては人それぞれの考えがありますが、私自身はこの選択が良かったと思っています(妊娠時に服薬を継続すべきか否かはそのときの病状や状況にもよるので、私の選択を勧めるものではありません。自分の責任の下、医師と相談しながら最善の選択をしていく必要があると思います)。

先日はじめて娘を連れて病院に行きました。先生も受付の方までも喜んでくださりました。育児や仕事の都合もあり、心療内科はその日で卒業となりました。


今は完治を目指すのではなくて、OCDという病気を気にしないで過ごせる今でいいと思えるようになりました。気になるなと思うことがあってもまずはちょっとほっておく。すると何を気にしていたのかを忘れていたり、確認することで余計に意識して記憶に残っていいたんだなと過去を振り返られるようなりました。苦しいときは必ず抜け出せる。
ちょっとの勇気とここから抜け出したいという強い思いが必ずよい道に導いてくれると信じています。



最後にOCDの方が近くにいらっしゃる方へ
OCDの患者さんは外見からはわかりません。ですから、念入りに確認しているところを見かけても「変わり者」と責めないでください。考えすぎだということは自分が一番よくわかっているのです。治したいと思っているんです。よき理解者がいてくださること、一人じゃないと思えることは明るい扉への第一歩。治したいという原動力につながる大きな一歩になると思っています。

ブログ「強迫性障害は治ると信じて~私は私の道をいこう~」
http://ameblo.jp/lealea-maimai/

妊娠中のSSRIの服用に関して、製薬会社は次のように注意を促しています。