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[第2回 Obsessive Person ~OCDのグレートたち~]
映画「アビエイター」で甦った伝説の大富豪"ハワード・ヒューズ"


映画『アビエイター』の公開とともに、アメリカの伝説の大富豪、ハワード・ヒューズの物語が人々の関心を集めています。1930年代から60年代のアメリカで、映画製作や企業買収で名を馳せ、航空機産業の実業家として活躍し、巨万の富を築いたハワード・ヒューズ。彼はOCDだったことでも知られています。映画『アビエイター』は、そのことを、主人公のキャラクターを特徴づける重要な要素として描いています。


●人生の前半は、挑戦と成功の連続

ハワード・ヒューズは1905年、テキサス州ヒューストンに生まれました。1922年、16歳のときに母親が病死し、その2年後に父親が急死。父親は石油掘削機械の開発で資産を築いており、その会社は資産数千万ドルと評価されていました。ハワードは18歳で父の跡を継ぎます。

幼い頃から映画製作者に、そして飛行家(アビエイター)になりたいとの夢を抱いていたハワードは、1925年、ハリウッドに移住。400万ドルの個人資産をつぎ込み、1年半を費やして史上初の航空アクション映画『地獄の天使』を完成させました。映画は1930年に公開され、大ヒットとなります。

飛行家としては、1932年に水上飛行機でアメリカ大陸横断飛行に成功。34年には全米飛行大会アマチュア部門で優勝。自らの飛行機製作会社を設立し、翌年には同社で開発した飛行機で、時速567kmの飛行速度世界新記録を樹立します。

1936年と37年には、単身大陸横断無着陸飛行で、7時間28分25秒まで最短飛行記録を更新。大西洋横断飛行で有名なリンドバーグの航空会社TWA(トランス・ワールド航空)を買収し、実質的なオーナーとなりました。38年には世界一周早まわり飛行に挑戦、それまでの記録を半分に短縮する3日と19時間8分の記録を樹立します。こうした飛行家としての活躍は、TWAが路線を拡大していく布石ともなりました。

第二次世界大戦に際しては、政府から軍需用飛行機製造の発注を受けます。1800万ドルの政府資金援助を受け、超大型飛行艇「ヘラクレス号」の建造に着手したのは1942年。その後、試験飛行中に二度の墜落事故を起こし、負傷を負い、さらに政府からの受注にあたって不正があったとの疑いで上院調査委員会に召喚され審問を受けるなどの試練がありましたが、それらを乗り越え、47年にはヘラクレス号の試験飛行に成功します。戦後はジェット機ブームに乗り、順調に航空事業を発展させました。

映画ビジネスでは、1948年に経営不振の大手映画スタジオRKOを買収するものの、赤字を出して55年には売却し、映画業界から撤退しました。しかしそれまでの間、彼の製作した映画によってスターになった女優を挙げると、ジーン・ハーロー、ジェーン・ラッセルなど、キラ星のような名前が挙がります。


●細菌への感染をおそれ、孤独を守った晩年

まさにアメリカン・ドリームを体現し、若くして「生きた伝説」となったハワード・ヒューズでしたが、1957年、52歳で女優ジーン・ピーターズと結婚した頃から、公的な場に姿を現さなくなります。女優との噂でゴシップ記事になることが多かったことへの反動か、新聞や雑誌の記事に載ることを嫌い、インタビューをすべて拒否しました。この後は、1972年に電話による記者会見を行ったのみです。

50年代にはラスベガスのホテルを本拠にし、一時はフラミンゴ・ホテルの一翼を借り切って生活をしました。1966年に発行されたジョン・キーツによる伝記 『ハワード・ヒューズ』には、フラミンゴ・ホテルでの生活の一端が、下記のように描写されています。

  • 自分の部屋の両側を空室にし、メイドのサービスを禁じた。
  • プライバシーを守るため、モラルが高いことで定評のあるモルモン教徒の男子学生を配置し、身辺を警護させた。
  • タオル、シーツなどは、それらの学生が本人の部屋の外に置いた。
  • 本人の希望に応じて毛布を持参した学生によれば、ハワードはそれを「細菌を防ぐために」と、窓にかけていたという。
事業は拡大し、1960年代にはラスベガスのカジノ、ホテル、土地その他を買収。個人資産20億ドルと推定される資産家となりましたが、夫人とは離婚し、跡継ぎをもつこともなく、ラスベガスの後にはバハマ諸島、ニカラグアなどのホテルを転々として晩年を暮らしました。

1976年にはメキシコ・アカプルコのホテルに滞在。同年、71歳のとき、アカプルコからチャーターされたジェット機でヒューストンの病院に救急搬送される途上、機内で亡くなりました。死因は脳血管障害、心臓病などとされましたが、長い隠遁生活と容貌の変化のため、本人がどうかを断定するために、FBIによる指紋照合が行われました。

埋葬は出生地のヒューストンで行われました。その遺産の多くは宇宙開発と医学の研究のために寄付されましたが、すべてを整理するには14年を要したといいます。3月11日に放映されたCS「ヒストリー・チャンネル」の番組「ハワード・ヒューズの謎」では、その後も夫人を名乗る女優が現れたり、遺族を名乗る親族からの遺産分与の訴えも複数あり、なかには現在でも未解決のものがあると報じられていました。


●OCD専門医に取材し、患者とともに過ごしたレオナルド・ディカプリオ

映画『アビエイター』は、ゴールデングローブ賞作品賞、主演男優賞、音楽賞を受賞し、アカデミー賞では11部門にノミネート。助演女優賞(ケイト・ブランシェット)、美術賞ほか5部門を受賞しました。惜しくも主演男優賞は逃したものの、主人公ハワード・ヒューズを演じたのは『タイタニック』などで知られる人気スター、レオナルド・ディカプリオです。

アメリカのサイトabout.comで配信されているインタビュー記事によれば、レオナルド・ディカプリオは、ハワード・ヒューズの人格とそのOCD症状は、切っても切れないものと考えていたそうです。インタビュアーの「たとえOCDでなかったとしても、ハワード・ヒューズは天才だったと考えますか?」という質問に対して、ディカプリオはこう答えています。

「世界最大の航空艇を作ろうとしたことも、世界一早く飛ぼうとしたことも、一度完成した『地獄の天使』を音声を入れて撮り直したことも、彼の強迫的な資質のなせるものであり、OCDがあのような驚くべき生涯を彼にもたらしたと言ってもいいだろう」

「彼は億万長者でありながら、平和や幸せという感覚を見出せなかった。一方でこの世で考えられるあらゆる成功を手にしながら、一方で小さなばい菌が彼を墜落させる。そのことが映画の大きなモチーフとして振り子のように続くんだ」

ディカプリオは役作りのためにUCLAメディカル・スクールのOCD専門医、ジェフリー・シュワルツ博士の指導を受け、OCD症状のメカニズムについて学びました。OCDの患者を紹介してもらい、その人と数日共に過ごして、なぜ患者は繰り返し強迫的な行為をしなければいけないのか理解しようとしたそうです。

どうやら『アビエイター』は、単なる華やかなヒーロー物語ではなさそうです。2001年度のアカデミー作品賞を受賞した『ビューティフル・マインド』が、統合失調症と闘う数学者の苦悩を描いたように、OCDと闘った天才的な実業家、ハワード・ヒューズの悲劇的な運命を描いたヒューマンドラマと考えたほうがよいのでしょう。


※参考文献:ジョン・キーツ著 小鷹信光訳『ハワード・ヒューズ』(ハヤカワ文庫NF)


●Interview with Leonardo DiCaprio by Rebecca Murray
http://romanticmovies.about.com/od/theaviator/a/aviatorld121004.htm


●『アビエイター』公式ホームページ
http://www.aviator-movie.jp/