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OCDコラム

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これって強迫性障害? それとも、ただのげん担ぎ?
⑤縁起・頭の中の強迫行為

スポーツ選手のなかには、よい結果が得られるよう、試合前などに必ず同じ行為をする人がいます。たとえば、「グラウンドには左足から入る」など自分で決めたルールを厳守しています。そして、このルールに則った行為を繰り返し行いますが、それと縁起が気になる強迫性障害(OCD)とは同じなのでしょうか、違うのでしょうか。今回は、縁起強迫と頭の中の強迫行為についてくわしく解説します。なお、コラム内に取り上げた事例は、OCD患者さんの症例を参考に構成したもので、特定の個人の体験ではありません。


目次
§1 縁起での一般的な行為とOCDとの違い
§2 縁起強迫の特性
§3 頭の中の強迫行為
§4 対処・治療への考え方


§1 縁起での一般的な行為とOCDとの違い

神仏に祈願したり、縁起を気にしたりすることは、私たちの生活のなかでよく見られることです。科学では説明できず、合理的とも思えないことなのに、合格祈願やスポーツの必勝祈願、恋愛成就のように、ここ一番というときに、私たちは神仏に頼ることがあります。しかし、この程度ではOCDとは考えられません。

また、とくに子どもに多いのですが、テレビの心霊番組やホラー映画の影響で、心霊現象を恐れて、おまじないを唱えたりする人がいますが、やはり、こちらも誰しもが多少は経験するもので、一過性で済むならばOCDとは考えにくいです。一般によく見られる縁起に関する行為には、次のようなものがあります。


一方、OCDの縁起恐怖では、縁起に関する対象範囲を広げすぎたり、ルール通りに実行できないときに湧いてくる不安が甚だしかったりします。そして、それらがなかなか解消されません。OCDの縁起強迫には次のようなものがあります。


このような強迫症状の度合いが強いほど、日常生活への支障も大きくなります。そして、自分でもこんなことに時間を費やしたくない、止めたいと思いながらも、コントロールできないで苦しむことがあります。

アメリカ精神医学会がまとめた診断基準である『DSM』に書かれたOCDに関する項目では、強迫観念または強迫行為は、強い苦痛を生じ、時間を浪費させ、またはその人の正常な毎日の生活習慣や社会的活動、人間関係を著明に傷害しています。したがって、OCD症状があっても日常生活に支障がなければ、OCDとは診断しません。


§2 縁起強迫の特性

OCDの症状が進行してくると、それまでとくに気にしないで行っていたことに対しても、本当にそれでよいのかと疑問が浮かびます。そして、それに対しても強迫行為をしておいたほうがいいと判断し、強迫行為を続けることで、日常生活で強迫症状を引き起こす場面が増えてきます。

OCDの縁起強迫では、神仏に祈願する事柄が広がるほど、精神的に落ち着くどころか不安になりやすくなり、進行すると追い詰められた感じになっていきます。

このような心理になる要因として、縁起強迫では、日常のささいなことを決めるにも、いちいち神仏に頼る場合には、依存性が増していると考えられます。縁起強迫に限らず、不安を自分で抱えることを避け、他人に肩代わりしてもらっている(=依存)と、不安を抱えやすくなります。この矛盾に早く気づけるとよいのですが……。

ただ、精神科の患者さんのなかには、神仏やオカルトめいたことを気にする人も珍しくなく、そのような人のなかには、それまでにつらい思いをしてきたがゆえに、超越的なものに救いを求めるようになったと話す人もいます。

神仏や霊魂は人の頭や心の中まで見通す力があると思っている人もいて、その場合、常に悪いことを考えてはいけないと思っています。また、人の目がなくても、神様に見られることを意識して、自分の行動を律しています。同様の強迫症状は、宗教によって考え方の違いはありますが、海外でも多くの報告があります。[1]

このような強迫症状は、精神症状のなかの妄想と誤解されやすい場合があります。しかし、OCDの縁起強迫では、自分以外の何かに見られているという気配を感じているわけではなく、一般に信心深い人が抱くような「神仏は常に私たちを見守ってくれる」というような考えを、日常生活の細かい動作にまで当てはめ過ぎているタイプが多いようです。


§3 頭の中の強迫行為

頭の中の強迫行為は、縁起強迫に限らず、ほとんどのOCDの患者さんが行っています(⇒第99回コラム)。たとえば、次のようなことです。


頭の中の強迫行為は、過剰な手洗いなどと異なり、いつでもどこでもできてしまい、その上、人からは行為をしていることがわかりにくいため、強迫行為にかける時間も回数も増えて、症状が重くなりがちです。

また、頭の中で、忙しく考えを巡らせていても、周囲の人には伝わらず、考えを巡らせている間の動作が止まったり、ゆっくりして見えるため、このような状況を強迫性緩慢(かんまん、*1)と呼びます。物事を行うのに時間がかかるため、なまけていると誤解されることがありますが、強迫行為をしている最中は、緊張しているので、決してなまけた表情はしていないはずです。


§4 対処・治療への考え方

縁起を気にするOCDは珍しいものではありません。OCDかもしれないと思った人は医療機関への受診を考えてみてもよいでしょう。

しかし、縁起強迫の人は、今までの生活を変えることに不安を抱きやすいので、受診をためらうかもしれません。しかし、「死」への過度なおそれがある場合、受診を先延ばしにしているうちに時間は経ち、親や祖父母は高齢となり、病気や死亡のリスクが増えることもあり、すると、よけい縁起が気になるようになり強迫症状も悪化することが考えられます。万が一、家族が病気や事故に遭ったとき、強迫行為に時間を取られ、病院にすぐに駆けつけられないという事態もあるかもしれません。このようなことにならないように、強迫症状の改善を早めに目指すことも大切です。

OCDの主な治療は、薬物療法と認知行動療法です。(⇒OCDの治療法
認知行動療法では、基本的に儀式などの強迫行為をすることによって起こる悪循環を断ち切るために、あえて不安を想起させる逆の行動をしていきます。しかし、自分や家族の不幸を恐れている人に、その逆の行動を! といったら戸惑うことでしょう。その場合、自分が恐れているのはどのような状況なのかをじっくり考えてみることが、恐れについて考えることも避けてきた人にとっては、想像型の曝露療法のように治療の一部となることがあります。

また、儀式にとらわれて、いざというとき行動できないというような自分の不合理な部分に焦点を当て、儀式に従わない行動に置き換えていくということが曝露反応妨害法の目標の一つになることもあります。

頭の中の強迫行為に悩んでいる人では、実際の状況以上に無理な設定や考え方をして、かえって自分を追い詰め、苦しくさせていることがあります。誰でもミスは起こしますが、歯磨きなど日常的な動作に対しても、ミスは絶対にあってはならないと考え、行動する前に頭の中で何度もシミュレーションをしているケースがあります。そのような場合は、まず自分の現状を受け入れ、頭の中だけで解決しようとするよりも、なるべく体を動かすことを優先して、完璧ではなくても行動に移してみる体験を積んでいけると、自然と考え方も変わっていきます。

治療者や患者さんの状態によって治療の方法はさまざまです。症状を改善したいと思った自分の気持ちを大切にして、取り組んでいただければと思います。


*注釈
*1強迫性緩慢――強迫性障害で見られる特徴的な動作のタイプの一つ。周囲の人には、動作がゆっくりと、止まっているように見えるものをいう。確認や洗浄の強迫行為によって時間が長くかかるようなものは含まれない。また、OCDを発症した後に、動作がゆっくりになったもので、発達障害のために動作がゆっくりと見える症状(カタトニア)とは区別される。

*参考文献
[1]リー・ベア[著]渡辺由佳里[訳]『妄想に取り憑かれる人々』日経BP社(2004年)