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OCDにともなう罪悪感、後悔~家族との関係

OCDを抱える人から、罪悪感や後ろめたさを感じて悩んでいるという声を聞くことがあります。また、過去の出来事を思い出しては後悔して悩み続ける人もいます。罪悪感や後悔は誰でも抱くものですし、OCDに特有なものではありません。しかし、OCDに限らず精神疾患を抱えていると、このような考えにとらわれやすくなることがあります。
そして、それは患者さんだけでなく、家族にも当てはまります。今回のコラムでは、そのような罪悪感や後悔についてまとめました。いくつかの事例を紹介しますが、これらは複数の患者さんの体験を参考にした架空のものです。


目次
§1 罪悪感があるとよけいにつらい
§2 家族も罪悪感を抱くことがある
§3 強迫行為の失敗や昔の出来事への後悔
§4 「今」を受け入れる


§1 罪悪感があるとよけいにつらい

一般に、「罪悪感」というものは、道徳や社会慣習など何らかの善悪の基準となる考えがあって、その基準に自分の行為が反していると感じたときに悪いことをしたという感情が生じます。[1][2]

OCDの人が、罪悪感や後ろめたさをどのようなときに感じて悩むのか、例をあげて考えていきます。
このような行為に対して抱く罪悪感は、無駄なことをしてしまったことに対しての良心の呵責や自分の信条に反していたために、生じる感情です。

また、他人(家族)や社会との関係のなかで罪悪感を抱くこともあります。
OCDのために、家族との関係や社会生活がうまくいかないことがありますが、強迫症状は自分ではコントロールができないので、思った通りの行動をとることは難しいでしょう。患者さんは、このようにありたいという理想の考えと、強迫症状のためにそれができない現実との板挟みになってしまいます。だから、罪悪感を抱いてしまうのです。OCDの人は、元々、真面目な性格の人が多く、このような思いを抱きがちです。罪悪感も含め一般に、強い感情が伴い、自尊心を脅かすものほど、大きな不安を感じる傾向にあります。[3]


§2 家族も罪悪感を抱くことがある

強迫行為に家族を巻き込んでいる場合、次第にその度合いが増していく傾向にあります。
たとえば、「石けんはどこそこのブランドでないといけない」とか、本人がトイレや洗面所で強迫行為を行っているときに、隣の部屋のドアを閉めたり物を落としたりして、大きな音を立てないようにと厳しく求めるようになっていきます。さらに、家族に確認する頻度も増していきます。このようなエスカレートしていく要求に対して、家族としては、どこまで応えて、どこから断っていいのか判断に困ることがあります。

巻き込みが激しくなるにしたがって、家族のほうでも罪悪感を抱くことがあります。強迫行為をめぐってもめたことが引き金となって、患者さんの強迫行為がいつも以上に時間がかかってしまったり、患者さんの感情が激高してしまったりすると、家族は「私がもっとうまく対処していれば、そこまでひどくならなかったのでは」と考え込んでしまうことがあります。しかし、「私が何とかしてあげたい」という家族の思いが強く、患者さんとの心理的なかかわりが強くなると、さらに強迫行為への巻き込みが増え、過干渉となってしまうこともあります。それもお互いに罪悪感を抱きやすくなる要因の一つです。

また、OCDの子どもをもつ親が育て方や過去の出来事を思い返して、後悔や罪悪感を抱くことがあります。たとえば、「進学のときに別の学校を勧めていれば、発症しなかったのではないか」等々。OCDの症状が重くなるほど、家族を取り巻く状況も深刻になりますし、このような状況が長期化することで、家族が悩みを深め、罪悪感を抱くのも理解できます。

しかし、OCDの発症原因は、現在の医学では明らかになっていません。患者さんのなかには、過去に家族もしくは他人から受けた暴力などが現在の精神状態に影響を与えている場合もありますが、一般的なOCDの治療では、親の育て方と発症との関係についてはあまり扱いません。OCDは、患者さんか家族のいずれかが悪いのではなく、問題となるものは強迫症状による悪循環なのです。したがって、その改善を目指すようにします。

現在、強迫症状への巻き込みが家族に影響を及ぼしているならば、それは治療のなかで対処法を考えていくことになります。たとえば、強迫行為への巻き込みを拒否したことで患者さんが興奮し、かんしゃくを起こしたからといって、次回から本人が望むように、強迫行為を手伝ってしまうと、それは強迫行為への巻き込みであり、長期的にみると症状を悪化させることになります。このようなしくみを患者さんにも家族にも理解していただき、改善できる部分を探していきます。


§3 強迫行為の失敗や昔の出来事への後悔

OCDの患者さんは、つい最近の出来事に対して後悔の念を抱くこともありますが、昔の出来事であっても後悔をすることがあります。

たとえば、最近の出来事に対する後悔としては、強迫行為をしているときに、うっかりハンカチを落としてしまったことで、強迫行為にいつも以上の時間がかかってしまった場合、「あそこでハンカチを床に落とさなければよかった」と自分のうっかりミスを後悔します。

携帯電話をトイレに落としてしまったようなミスならば、「ああ、しまった!」と後悔するのも自然でしょう。しかし、OCDの人は、そこまで後悔するような状況でなくても、入浴やトイレなど強迫行為中に、何かしらのアクシデントが起こると気がそれて、うまくいかなくなり、長い時間とエネルギーをかけて始めからやり直すことがあります。このようなケースでは、強迫行為を無事に終えたとしても、充実感はなく、無駄な時間を費やしてしまったという思いを抱きます。まして何らかのミスが原因で、強迫行為を途中からやり直すなどがあれば、後悔したくなるのも無理はありません。

一方、過去の出来事に対する後悔としては、進学や就職がうまく行かなかったことからOCDを発症したと考えては悔やみ、延々と後悔の念にとらわれる人もいます。

OCDには、「何度も戸締りを確認する」などの目に見える強迫行為と、その後で「大丈夫だったか何度も思い返す」といった目に見えない頭の中の強迫行為とがあります。目に見える強迫行為と頭の中の強迫行為のどちらにより比重があるかは、人によって異なりますが、元々、OCDの人は、このような嫌な感情や考えにとらわれやすい傾向があります。また、うつ病を併発している人も、過去に対する後悔と将来への心配を延々と考えて「思考の反芻(はんすう)」にとらわれることがあります。

そして、OCDが長期化するほど、強迫行為などに時間を奪われ、やりたいけれどできなかったことが増えるにつれ、後悔の念も増えます。また、OCDが重症で、仕事や学業、家事ができなくなり、自宅にひきこもるようになると、なおさらそのような思考にとらわれる時間も増えてしまいます。


§4 「今」を受け入れる

過去の体験を後悔したり、OCDによって将来、悪いことが起きるのではないかという不安にとらわれたりしていると、「今」を考えることが置き去りとなります。過去はどうであれ、「今」という時間の積み重ねが未来につながっていきます。「今」を受け入れることを意識的にしていきましょう。

OCDやうつ病の治療で行われる認知行動療法には、さまざまな技法がありますが、どれも広い意味で「今ここでできること」に焦点をあてています。また、最初に述べましたが、罪悪感は何らかの善悪の基準があって生じるものですから、その基準となる考えをどう扱うのかもポイントとなります。次に患者さんと家族間に生じる考え方の不一致についてみてみましょう。
家族は病気がよくなるようにと通院を希望しますが、本人は、過去の通院で嫌な思いをしたことから受診をためらいます。一方で、家族の思いも痛いほど感じているから、罪悪感は深まります。このような場合、患者さんと家族で、お互いの気持ちを率直に話し合えばいいのですが、それは難しいようです。双方が相手に期待している役割のずれ(不一致)が、罪悪感や後ろめたさをもたらしていることがあるのです。

また、他人と比べたり、世間体を気にしたりすると、それに合わせた善悪の基準ができてしまうので、罪悪感を覚えやすくなります。

人は完璧ではありません。誰しも間違うことはあるもので、その事実を受け入れ、自分を許すことも必要です。OCDの人は強迫症状に関して厳密に考えている人が多く、ミスを許すことが難しいようです。

ほかの疾患を抱えている人もいるでしょうし、OCDの患者さんを取り巻く状況はさまざまですので、一概にはいえませんが、OCDの治療がうまくいくと、罪悪感や後悔にとらわれることも自然に減っていくようです。認知行動療法で、一つひとつ課題をクリアすることは達成感をもたらします。達成感は後悔とは逆の感情をもたらします。症状が改善していくにつれ、日常生活でできることが増えていきます。そして、社会復帰を果たした後は、「今、その日に片づけなくてはならないこと」が増え、「今」という時間に注意が向くことが増えていくのです。

現在、OCDやうつの症状を抱えている人は「今」という時間に目を向けようとしても、自分一人では難しいことがあるので、できれば専門家の支援を受けられるとよいでしょう。ただし、専門家を探すことが難しい場合もあり、そんなときは小さなことから始めてみましょう。

「今」という時間へ目を向ける方法にはさまざまなものが考えられます。たとえば、嫌な考えが頭にあるときにこそ、外の景色に目を向けてみることで、嫌な考えが分散していくこともあります。また、嫌な考えにとらわれているときに、部屋の一部を簡単に掃除したりすると、部屋が片付いているという目に見える成果を実感し、悶々と過ごすよりよかったと思えることがあります。いずれも、不快な思いから逃れるのではなく、不完全な現状を受け入れ、「いくらかでもよいほうへ」を目指して行動していくことがポイントです。少しずつでも、今という日常に取り入れられることが見つかるといいですね。



*参考文献
[1]
金田一京助、山田忠雄、柴田武、酒井憲二、倉持保男、山田明雄[編]「新明解国語辞典」三省堂(1999年)
[2]
季刊ビィNo.84 「特集「罪悪感」のワナから抜ける」第22巻3号特定非営利活動法人ASK(2006年)
[3]
Dennis Greensberger, Christine A. Padesky [著] Mind over Mood: Change How You Feel by Changing the Way You Think, Guilford Pr (1995年)