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OCD体験者座談会2012 Vol.3(全3回)
強迫症状の治療と改善、そして、これから

前回のコラムでは、強迫症状が悪化していって、出口の見えない日々をお話しいただきました。最終回の今回は、そのようなつらい状況からどのように改善されていったのか、治療に関して、具体的にお話しいただきました。どなたにも同じ治療法で必ずしも効果がみられるということはありませんが、ここでお話しいただいた三人の方の気持ちの揺れや「治りたい」という切実な思いには共感していただけるのではないでしょうか。

注意>>>>>

  • 座談会でお話されていることは、それぞれの方の実体験に基づいたものです。
  • 時代や地域により、治療法など医療の状況が異なる場合もあります。
  • ここで紹介されている対処法は、それぞれの方で条件が異なりますので、どなたにでも応用できるものではないことをご了承ください。決して自己判断で対処法など行われませんようお願いいたします。

目次
§1 みゆさん、ようやく治療のスタート台に
§2 お茶さん、ヒロさんの認知行動療法
§3 みゆさんのOCD治療、トラウマ治療
§4 治療の原動力になったもの
§5 これからのこと……


§1 みゆさん、ようやく治療のスタート台に

有園
みゆさんは、自分なりに認知行動療法に取り組んで、実際にやってみては挫折、という繰り返しだったようですが、本格的な治療への転機にはどのようなことがありましたか。

みゆ
自己流に認知行動療法を繰り返しているうちに、症状がどんどんひどくなることに気づいたんです。45歳を過ぎたころから症状が今まで以上にひどくなってしまいました。仕事のストレスもあったのかもしれませんが、「きれいなものと汚いものの線引き」(注:座談会の第2回目コラム参照)がどんどんはっきりしていき、強迫行為がエスカレートして、つらくてしかたありませんでした。そんな日々が続いて、「私、この家にいられない」と家を出たんですが、行くところがなく、結局、汚い対象である実家に行きました。でも、実家を汚いと思うんですが、楽な場所だったんです。そこで過ごした数か月は強迫の症状もなくなり、精神的に安定したものですから、もう一度がんばって治療しようと思って、自分の家に戻りました。

有園
みゆさんのなかには、きれいなエリアと汚いエリアがあって、そのエリアをまたぐところが強迫行為をするところになっているんですね。実家はみゆさんにとって汚いところだけど、ずっとそこにいればエリアをまたぐことがないわけだから、強迫行為をしなくてすむということなんです。強迫症状が消えたわけではないけれど、落ち着いたんですね。

みゆ
そうなんですね。すこし気持ちに余裕ができて、今だったら認知行動療法ができるように思い、家に帰ったんですが、しばらくすると、やはり元に戻ってしまって。これでは本当にいけないと、2011年の2月に近所にある精神科のクリニックに行きました。

有園
精神科の病院とかクリニックに行ったのは、このときが初めてですか。

みゆ
そうです。でも、そこの先生は強迫性障害のことにあまり詳しくなくて、とりあえず抗うつ薬を処方されたのですが、副作用がつらく症状もよくならなくて3週間で服用をやめました。そんなときに東日本大震災が起きました。

3月20日頃のことです。実家の汚れと息子の部屋が私のなかでリンクしてしまい、息子に部屋を掃除させてほしいと頼んだところ拒絶され、押し問答の末、息子に「いつまでやってるんだ! いい加減に治せ! こんなこと死ぬまでやっているのか」と怒鳴られました。息子が強迫でとらわれていた私の25年という時間を計算して、1年のうち1ヶ月以上は強迫に費やしていると指摘し、「その時間を好きなことに使えるように、自分で強迫行為の行動をやめないといけない。つらくてもやるしかない、家族が協力するから」といわれました。その日は夫も仕事が休みで家にいたものですから、夫にも「治療させてやってくれ。協力してやってくれ」と息子が話してくれました。それで私も認知行動療法を真剣にやろうと決意し、インターネットで認知行動療法をやっているクリニックを探して、4月から通院しました。

有園
そこではどんな治療をしたのですか。

みゆ
まず、強迫性障害という病気の説明を受けて、認知行動療法の曝露をやりました。レベル1から3まで、症状によって課題の難易度を3段階に設定して始めました。レベル1、2までは割とスムーズに進むことができたのですが、3ぐらいになると自分ではなかなかできなくて、壁にぶつかってしまったんですね。どうしてもその壁を乗り越えることができない、と先生に話しても「やるしかないんだよ」といわれるだけで。これ以上私には無理かなと思っているときに、インターネットでOCDの支援グループを知り、出席してみました。



§2 お茶さん、ヒロさんの認知行動療法

有園
お茶さんは、自傷行為をするようなどん底の状態から、どんな治療をしていったのですか。

お茶
2009年11月に、知人の紹介で大学病院に通うようになりました。そこで認知行動療法を本格的に始めました。基本的に僕の場合、頭の中で強迫観念、強迫行為がすべて行われるのですが、いちばん大切なのが、「強迫観念がきても強迫行為をしない」ということなんです。そのために、強迫観念のファクターをICレコーダーに録音して聞くんです。たとえば、自分がカルト宗教で洗脳されてサリンを撒くという物語を自分で作って、自分で録音して1週間毎日聞くんです。

有園
自分でシナリオも作るわけでしょ。その段階から怖いですか。

お茶

現在は一人暮らしをしながら大学へ通うお茶さん

怖いです。録音しているときも怖い。最初のうちは恐怖で押しつぶされそうになって、強迫行為もまあ、やっちゃっていたかな。3日くらいすると、録音された内容も聞き慣れてくるので、ゲシュタルト崩壊(*1)みたいになってくるんです。それで、「どうでもいいや」「どうにでもなれ」って思えるようになって、よくいえば、開き直りができるようになった。

「どうにでもなれ」って思うことは大切だと思います。最初は、レコーダーに録音した内容に対してしか通用しなかったんですが、どんどん「どうにでもなれ」の適応が広がっていくんです。たとえば、テレビのニュースで流れている実際の殺人事件とかでも、「自分もやっちゃうんじゃないかな」と思っても「どうでもいいや」って感覚で流せるようになった。解決の糸口が見つかれば、そのあとは早かったです。まあ、早いといっても、それまで苦しんできた時間と比べてなんですが。

有園
この認知行動療法は入院して行ったんですか? 治療の一環として恐怖の対象となっているカルト宗教の本部を実際に見に行ってみるとかはしなかったの?

お茶
外来です。1週間に1回、2011年の2月まで通いました。最後のほうはだいぶ快方に向かっていて、日常生活に大きな支障が出るという感じではなくなっていました。実際に恐怖の対象であるものに触れるとかはしていません。僕の場合は想像型の曝露しか体験していないです。

有園
ヒロ君はどんなふうにして改善に向かっていったのですか。

ヒロ

自分の意思で就職先を見つけたいと考えるヒロさん

父に勧められた福祉系の大学に合格しましたが、こんな状態で大学にいって勉強できるのか不安になって、カウンセリングを受けました。学校に行っても支障がないくらいに症状を改善していくことになり、読み書きに関する症状を治すことから始めました。最初は2週間に1回のペースでカウンセリングをしてもらいました。

まず、本に書いてあることをそのままノートに書き写しました。そうすると手が鉛筆で汚れてしまうんですが、そのまま手を洗わないで部屋のものに触れるということをしました。それを1週間続けるのですが、最初の2、3日は本当に気が気じゃなかった。自分はどんどん鉛筆の芯で汚れていっているという観念が湧いてきて、ひどいときは吐きそうになるくらいつらかったんですが、続けているうちに、「どうせ汚れているんだから。どうでもいいや」と変わっていって、少しずつ鉛筆の汚れに関しては克服していきました。平気になるまでには2週間くらいかかりました。

有園
鉛筆で汚れた手を洗わずにそのまま部屋のものに触れるというのは、汚れを広げていくということなんですね。で、読み書きの「読み」のほうはどうでしたか。

ヒロ
本を読むときに、本の内容を全部理解しようとするのではなくて、6割、7割程度、頭に入ればいいというつもりで読む、そして、前のページには戻らないでどんどん読み進んでいくということをやりました。

有園
それをやって読むのも書くのも平気になっていったんですか?

ヒロ
そうです。平気になってみると、なんで今までこんなことで悩んでいたんだろうと思いました。こんなにすんなり治せるんだったら、もっと早く治っていれば違う人生歩めていたんじゃないかな(笑)。

有園
読み書きのほかには、何をしましたか。

ヒロ
トイレ関係のことです。いろんなやり方を試して最終的に行きついたのが、便器の水に浸したトイレットペーパーを手に付けて、そのまま洗わないというものです。

みゆ
便器の水というのは、使用前の状態ですよね。

ヒロ
そうです。きれいな水です。

お茶
いや、やっぱり抵抗ありますね。僕、不潔恐怖じゃないけどやだよ。

ヒロ
最初、何やらせるんだろうと思いましたよ(笑)。でも、だんだんよくなっていきました。ここで一通り「不潔」に関する強迫はよくなったので、次に「確認」についてやることになりました。最初は水道の蛇口を、あえて開けっ放しにしてその場を離れてみる、ということをしました。そうすることで明らかに水が出ているときの感覚が実感としてわかるじゃないですか。その感覚を体に覚えさせるために、1日に何回もやり、水道の蛇口に関してはよくなりました。

戸締りに関しても基本は同じで、あえて鍵を開けたままの状態で家から数メートルくらい離れてみるということをしました。明らかに開けっ放しのときは、違和感があるんで、その違和感を体に覚えさせることをやっていました。ほかにも確認の症状はあったんですけど、根本的な治し方は一緒だとカウンセラーさんにいわれていたので、これらと同じやり方を自分なりにアレンジしてほかの確認症状に対してもやっていきました。



§3 みゆさんのOCD治療、トラウマ治療

有園
みゆさんの場合は、その後どんなふうに治療をされたんですか。

みゆ

自分の病気の経験を生かしたいとカウンセリングの勉強をしているみゆさん

最初のカウンセリングのときに、私が実家に対して「汚い」ではなく「穢(けが)れる」と表現をしたため、カウンセラーさんから「何かトラウマがあるんじゃないの」と指摘されました。トラウマと指摘されたことで、これまでの実家に対するこだわりと嫌悪感がなんだったのか、ふっとわかったような気がして、長年苦しんできた実家に対する強迫行為もこれで治るんじゃないかと、光が見えてきて気が楽になりました。そして、残っている強迫症状に対しても積極的に向き合っていきました。

毎朝出勤前に掃除をする習慣があり、苦痛に感じながら朝の掃除は続けていました。カウンセラーさんから「だったら毎日の拭き掃除は、汚れをつけながらやったらいいのでは」といわれて、実家から父や兄が使っているボールペンを何本かもらってきて、雑巾にそのボールペンを擦り付けてから拭くようにしました。1か月以上続けました。かなりこれは自分のなかでは治療効果が高かったような気がします。私にとっての聖域である家を汚そうということで、実家から帰ってきても手を洗わずに、まず自分の体をべたべた触って、自分を汚してから布団とか家中のものに触れるという曝露をしました。

先ほど、お二人は曝露療法を始めて3日間くらいがつらかったとおっしゃっていましたし、本でもそのように書いてありますが、私の場合は、曝露行動をしよう、汚してしまい諦めるんだと決意するまでが一番つらくて、やり始めると「仕方ない」と割り切れたんです。決意が固まるまでがつらかったです。

私の場合、曝露療法が終わって症状が消えても、不安と観念が消えてくれず、観念がいつも頭をよぎっていました。不安と観念との闘いが3、4ヶ月続きました。この期間がつらかったです。カウンセラーさんから、次第に不安も下がってくるからといわれていましたが、半信半疑でした。今1年たって不安はなくなりました。

トラウマに関しては、ある程度強迫の症状が消えてきた頃、お茶さんと同じようにICレコーダーにトラウマとなった過去の嫌な出来事を録音して聞くようにしました。母のこと、父のこと、兄のことと段階的に分けて録音しました。

最初はそれを聞くと嫌な気持ちがこみ上げてきたんですが、何度も聞いているうちに、「母もかわいそうな人だったんだな」と今までにない感情が出てきました。父に対しても「あんな母だったから外に目が向いてしまったんだ。3年間の母への介護が償いだったんだろう」と見方が変わっていきました。カウンセリングで認知が変わっていったんだと思います。自分一人ではこんな風にはなれなかった。

有園
過去の記憶に曝露して、それに慣れていったことで、考え方にも余裕ができてきたんでしょうね。それから、昔は娘の立場からしか母親を見てなかったわけでしょ。それが大人になって、親を介護する立場になり、同じ女性として、同じ人間として母親を見ることができるようになってきたんでしょうね。

みゆ
トラウマを自分で受け入れて、「しょうがないことだったんだ」と思えるようになったら、残っていた症状の治療も進み、25年間の暗闇から解き放たれた、そんな感覚になりました。「生きているってこんなに楽だったんだ」というのを実感しました。発病して、こんなにすっきりしたのは初めてと思えるほど嬉しさと充実感で満たされました。曝露療法の仕上げは父を家に呼ぶことでしたが、終わったら達成感でいっぱいでした。つらかったけど、やってよかった。自分をほめたいと思いました。



§4 治療の原動力になったもの

有園
皆さん、それぞれつらい治療をされてきたんですけど、つらい治療を乗り越えられた原動力って何だったんですか?

お茶
家族です。たぶん母がいなかったら治っていなかったですね。本当に献身的に付き合ってくれまして、母もうつ病に近い状態になりました。家族がいなかったら治ってないです。間違いなく。家族の献身的な協力です。

ヒロ
自分の場合もある意味、親のおかげです。浪人のとき、一日中家で寝ている生活をしていたときに、親から「このままこんな生活を続けるんだったら、悪いけど家から出て行ってくれ」といわれたんです。親もどこまで本気だったかはわからないんですが、それで、治さなきゃいけないんだという気持ちが強くなったかな。

みゆ
私は人生の折り返しにきて、このままでは死にたくない、強迫を抱えたまま一生を終えるのはいやだと思いました。そのためには何をやらなくてはいけないのか、怖くて逃げていた行動療法をやらないと自分には先がないと思いました。それから、ずっと巻き込んできた子どもたちのためにも、どうにかしなければと奮い立たせました。娘は治療に協力してくれて、曝露をして押しつぶされそうなときに、いつも励ましてくれました。自分自身や家族のために、自分を追い込んで治療することができたという感じです。

有園
皆さん、つらいながらも治療によって改善が得られたんですが、改善してよかったことは何ですか。

お茶
日常生活が送れるようになったというのが大きいですね。これまで当たり前のことができなかった。具体的というと、何かなあ。電車に乗れる、買い物ができる、学校に行ける、当たり前のことが当たり前にできる

ヒロ
僕の場合はいらいらしなくなった。どちらかというと短気なほうだったんですが、周りからも「最近、いらいらしなくなったよね」といわれるようになったんで。後は、お茶君といっしょで、強迫にとらわれる時間がなくなったぶん、自分のしたいことができる時間が増えたというのがよかったと思います。

みゆ
生活がしやすくなったというのが第一ですが、今まで強迫に費やしていた時間を、今度は自分の好きなことに使えるので、25年間やりたくてもできなかったことに、ひとつずつチャレンジしているという感じです。

お茶
僕の場合、いまだにかけらのようなものはあります。強迫行為自体にはならないけど、やっぱりなんか……。かけらがあるという感じ。

有園
改善した人でも、そういう感じの人って多いようですよ。

ヒロ
僕はあんまり症状が残っているという実感はないです。

みゆ
生活のしづらさは全くないですが、まだ観念は残っています。でも、強迫行為をしたらどうなるのかはわかっているので、自分が今どういう行動をとったらいいのか、やらなくてはいけない行動は何かを常に念頭に置いて行動している感じです。



§5 これからのこと……

有園
これからやりたいこと、もしくは希望はありますか?

お茶
難しいなあ。

ヒロ
自分の場合は、親にいわれるままに大学を決めたところがあって、具体的に自分はどうしたいのか、考えないまま大学生になってしまったんです。今、大学3年生なので、周りが就職活動をしているなかで、自分はどうしたらよいかわからない状態ですが、どんなかたちでもいいので、就職したいと思います。

お茶
強迫性障害のために失った時間を無駄ととらえるか、実りのある時間ととらえるか、自分次第だと思うんです。僕は正直なところ非常にブランクというか失ってしまった時間だと思ってしまう。やっぱり、いまだに楽しそうな高校生を見ると、「いいなあ」と思っちゃいます。これから変わるかもしれないけど、今の時点では、正直なところ失ってしまった時間なのかな、と思っています。

みゆ
今まで症状が出て25年間、自分に自信がなかったんです。自分はダメな人間だ、どうしてこんなふうになってしまったんだろう、とずっと思ってきて。治療をして結果がついてきて、やっと自分に自信が持てました。結婚して初めて去年は満足できる年を迎えられたんです。今、一番思っているのは、強迫にとらわれていた25年間も自分の歴史なので、これを無駄にしたくない。4年前にカウンセラーの資格を取りまして、この経験を何かに使いたいなという思いがあり、今はカウンセリングの勉強と認知行動療法の講座とかも受けているんです。できれば自分の歴史を活用した何かをやりたいなというのが一番の希望です。

お茶
頭が下がります。すごいなあ。

みゆ
過ぎた時間とやれなかったことを考えると、やっぱり……。だから、そうしないと今までの25年ってなんだろうかって……。そうやって自分を高めていかないと気持ちが落ちていってしまう。苦しんでいる人をみると私の経験を活かして、何かできないかなあ、という気持ちでいるんです。まだ、全然形にはなっていないんですけど。

有園
最後に同じ病気で、悩んでいらっしゃる人に伝えたいことはありませんか。

お茶
僕の経験から、治りたいと思う意思があるなら、曝露療法とか、自分の怖いことにぶち当たってみる勇気が必要なんで、本当、1回でいいから試してみてください。壁一枚越えれば絶対治る病気なんで。

ヒロ
病気を治してからどうしたいのかを考えておくことが大事なんじゃないかと思います。強迫にとらわれなくなったら時間ができるわけじゃないですか。だから、その時間でどこかへ遊びに行きたいとか、そういう単純なことでいいので、何かしら「病気を治したらこういうことがしたい」と、治った後の自分のことを想像するっていうのも、ひとつ治療への原動力になるのではないかと思います。

みゆ
私は、自分に合った治療者を見つけられるといいのではないかと思います。自分の1から10まで話せる人を見つける。本心を話せる人が治療者であることが治療への早道のような気がします。私は、普通の強迫性障害と違って、トラウマというものがあったので、なおさらですが、全部をさらけ出す勇気をもつことが大切ではないかと実感します。ぜひ、強迫と闘う勇気をもって行動を起こしてほしいと思います。

有園
本日、3人の人に来ていただいて、とても中身が濃いお話を聞かせていただきました。あまり本などには載っていない情報を話していただいて、サイトの読者の皆さんにも参考にしていただけるんじゃないかと思います。どうもありがとうございました。



座談会を振り返って 有園正俊さんより

今回の座談会は、未成年の頃から症状を抱えていた人と、典型的なOCDとは少し異なったタイプの人のOCD体験をされた人を紹介したいという考えで、参加者を募りました。みゆさんの場合、強迫症状の発症は成人してからでしたが、子どものころの体験が影響していると考えられました。
3人とも、ほかでは話しにくい体験を、くわしく語っていただいて、とても感謝しています。そして、皆さん、一時はとても深刻な状況にあったのですが、症状が改善されて本当によかったと心から思います。

ただ、ここでもお話しいただきましたが、OCDの患者さんたちは、認知行動療法などの精神療法を受けたい、OCDをちゃんと治療したいと思っても、治療者になかなか出会えず、苦労している人が多いのが現状です。そのため、OCDにくわしい専門家や支援機関が全国にもっと増えてほしいと思います。



*注釈
*1
ゲシュタルト崩壊:認知心理学の分野の用語。文字や図形など、通常はまとまりのある形態として知覚できるものが、ずっと見続けるうちに、全体的な形態の認知が低下して、形がバラバラに崩れたまま知覚されてしまう現象のこと。