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OCD体験者座談会2012 Vol.2(全3回)
強迫性障害の症状が悪化、日常生活での困難さ

前回のコラムでは、最初にOCDを発症した頃の状況をお話しいただきました。中学生で発症したお茶さん、ヒロさん。結婚して出産後に発症したみゆさん、発症時期は異なるものの、高校受験や家庭内の不和などそれぞれに大きなストレスを抱えていたことがわかりました。その後、皆さんは、強迫症状が悪化していって、それぞれ悩みが深まるのですが、第2回では、日常生活でどのような困難があったのか、OCDを抱えたことでのご苦労を中心にお話しいただきます。

注意>>>>>

  • 座談会でお話されていることは、それぞれの方の実体験に基づいたものです。
  • 時代や地域により、治療法など医療の状況が異なる場合もあります。
  • ここで紹介されている対処法は、それぞれの方で条件が異なりますので、どなたにでも応用できるものではないことをご了承ください。決して自己判断で対処法など行われませんようお願いいたします。

目次
§1 無意識下で人を傷つけるのではないかという恐怖
§2 高校入学後、再び症状が悪化 ネットでOCDを知り受診へ
§3 子育てと介護、仕事、治療どころではなかった10年間
§4 受診のきっかけ


§1 無意識下で人を傷つけるのではないかという恐怖

有園

有園正俊さん

発症当時のお話をうかがいましたので、次に強迫症状が悪化していったあたりをお茶さんから話してもらえますか。

お茶
僕のなかでは、段階的に二つに分かれていて、一つめには先ほどお話しした"強迫性障害の芽"(第103回コラム:座談会Vol.1参照)みたいなものがありましたが、その後、高2の8月にガラッと強迫性障害の症状が変わりました。

このときにもきっかけがありまして、それはテレビドラマで、霊に憑依された人を、除霊している場面を見たのがきっかけです。これから、本格的な加害恐怖*1)というものが出てくるようになりました。

これは完全に強迫観念になると思うのですが、「憑依されて、自分が変わってしまうというか自我がなくなるというか、自制がきかなくなって自分で知らないうちに、人を傷つけてしまうのではないか」と考えるようになっちゃったんですね。それが僕の強迫症状の始まりでメインです。

有園
加害恐怖でも、たとえば刃物恐怖の人では、刃物から目を離したり、自分の注意が逸れたときに、誰かを傷つけてしまったのではないかという考えが湧いてきたりするんですけど、そういう感じはありましたか。

お茶
んーっ、近いんですけど、でも、ちょっと違う。僕のは説明しにくい強迫性障害なんで。要するに、「自我がなくなるということ」「自分が自分でなくなるということ」が、僕のなかでは恐怖でした。それで、最終的には自分が自分でなくなった状態で人を傷つけてしまうのではないかという恐怖になるんです。

有園
そういう恐怖はどういうときに起こるんですか。

お茶

頭の中だけで行われる強迫行為で疲労困憊だったというお茶さん

四六時中ですね。強迫観念がよぎると強迫行為をしてしまう。僕の場合、全部頭の中で行われる強迫行為なので、説明が難しいんですが、「僕は虫も殺せない性格なので人を傷つけることはない」などと過去の体験から一つひとつ思い起こしていくんです。自分は人を傷つけたりしないということを納得させるために、延々と頭の中でそんな考えを巡らせるんです。なんていうのかな、自分の考えを自ら論破しようという感じ。
有園
そういう論理は、憑依されたとしても人を傷つけることはないと考えるようにするの?

お茶
いえ、自分は憑依自体されないだろうと、思うために。

有園
観念を打ち消そうとしているんだ。これは長い時間かかるのですか。

お茶
場合によって違いますが、長い時間かかるときもあるし、案外短い時間で終わるときもあります。長いときは3日、4日続きます。その間はほかのことにはまったく集中できない。睡眠もしているけど、非常に浅いような気がします。学校にいっても全然集中できない。何もできない。ものすごく疲れます。疲労困憊。体力のすべてをもっていかれるような感じです。

僕の場合、強迫観念を打ち消そうとすること自体は、間違っているとは考えなかったです。さっき、みゆさんがおっしゃったように、自分の行為を自分で責めるということはなかったです。非現実的なことをしていると思っていなかったんですから。それ自体がばかげているんですけどね。

有園
加害恐怖だと、駅のホームを歩いているとき、触れてもいないのにだれかを突き飛ばしてしまったのではないかと恐怖を感じる人がいます。こんなときには、以前にニュースなどで知った実際の事件が思い起こされることもあるのだけど、そういうことはありましたか。

お茶
「やってしまったかも」というのはなかったのですが、「次にやるのは自分かもしれない」という恐怖はありました。

有園
頭の中の強迫行為とは別に「これをやると悪いことが起こるから、やってはいけない」など自分のなかでのルールというものはありましたか。

お茶
強迫行為をやらないこと」です。頭の中で強迫観念を打ち消すことができないと、現実に起こってしまうと思っていました。



§2 高校入学後、再び症状が悪化 ネットでOCDを知り受診へ

有園
では、次にヒロさん、高校入学後からお話しください。

ヒロ
高校に入学する前、春休みくらい勉強を一切忘れて遊ぼうと考え、一日中、家でゲームをしたり、友だちと遊びに行ったりしていたんですが、その頃いくぶん気持ちが楽になったかな。高校に入学しても、しばらく強迫にとらわれなかったです。中学のときに苦しんだのはなんだったんだろうと思ったんですが、3、4ヶ月するうちに、大学受験を意識するようになってストレスが溜まるようになってきました。

大学受験のストレスから強迫症状が再び悪化したヒロさん

高校受験でうまくいかなかったぶん、大学受験で取り戻すんだ、みたいな気持ちが強くなって、症状が出てきました。それでも高校1年生くらいまではなんとかやっていたんですが、高校2年になって、「大学受験のために今から真剣に勉強をしなくてはいけないんだ」と思うようになると、鉛筆の症状とかが現れるようになりました。そうすると、授業内容がまったく頭に入ってこないし、自分で勉強していても頭が全然勉強に向かない。で、また成績がガクッと下がってしまって。

親からも「何やっているんだ!」と怒られるのですが、自分はまじめにやっているのになんで怒られなくてはいけないのかという思いもあって、たびたび親と衝突するようになりました。

一時期、勉強なんてやってられるか! と、友だちと遊び歩いていました。1週間毎日カラオケボックスに行ったりして。そんなことをやっているうちに、親との関係も悪化しました。うちは、母より比較的父のほうがうるさいんです。自分は3人兄弟の長男なんですが、子どもたちにはいい大学に行ってほしいという思いが父には強くあったみたいです。

有園
鉛筆の症状などに対して、この頃は病気という自覚はありましたか。

ヒロ
「やっぱ、普通じゃないな」とは感じていたんですが、病気とは思わなかったです。

有園
まだ10代だったしね。親は、あなたの成績が下がったのは怠けているからと考えていたのかな?

ヒロ
そうみたいです。

有園
親からすると、カラオケとかで遊んでいるから成績が下がったと考えてしまうわけですが、親はヒロ君の症状について知らなかったの?

ヒロ
そうですね。当時、そういう話はしなかったですから。母親から「あなた、最近、手を洗うのが長いわね」とはいわれていたんですが、その時点では、親はあんまり問題視していなかったみたいです。

高3になって、さすがにこのままではいけない、勉強しなくてはいけないと思ったんですが、そのころから症状がもっとひどくなっていきました。ペンを持つ手が震えることもあって。そのころたまたまインターネットで「強迫性障害」に関係するサイトに出合って、そこに載っていた症状が自分に当てはまると思って、家の近くの心療内科に行きました。そこで、症状を伝えたら「それは強迫性障害ですね」と診断されました。

有園
心療内科へ行こうと思ったのは、この頃、症状がひどくなってきて日常生活でもつらかったからですか。

ヒロ
そうですね。でも、中学のときにそのサイトを見ていたら、そのときに病院へ行っていたと思います。

有園
このとき心療内科へ行くことを親は知っていたのですか。

ヒロ
このとき初めて、親に症状のことを話したんだと思います。そのときは、親もあまり重く受け止めていなくて。「とりあえず病院へ行ってみたら」という感じでした。



§3 子育てと介護、仕事、治療どころではなかった10年間

有園
みゆさんはどうですか。

みゆ

強迫症状が悪化するにつれ汚いものと聖域との境界がはっきりしてきたみゆさん

家をきれいにしていなくてはいけないと思うようになって、常に掃除をしていました。自分の家族はいいのですが、実家の人がくると汚れるような感じがして、家にあげられなくなってきました。とにかく家を汚されるというか、触られるのが嫌だったんです。訪ねてこられても居留守をつかうようになりました。それでも、実家の人が家にあがってきたときは、帰ってから1、2時間かけて掃除をしました。

「きれいにしなくっちゃ」という気持ちと掃除にかける時間がひどくなっていって、家のトイレを掃除すると、せっかくきれいになったので、なるべく汚したくなくてスーパーのトイレを使ったりすることもありました。子どもには普通に家のトイレを使わせていましたが、子どもなので、用を足すときにトイレを汚してしまうことがあり、そんなときはすごく叱っていました。子どもは便座を汚してしまうと、怒られるのが嫌で自分の手で拭いて、隠そうとしていました。私に怒られないよう必死だったのでしょうが、そこまで子どもを追い詰めていたんです。でも、当時は冷静に考えられずに、子どもは汚れた手をちゃんと洗ったのか、その手でどこに触れたのか、そんなことしか考えられませんでした。

長男が幼稚園に入り、下の子が生まれた頃に家を建て、引っ越したのですが、そこでも夜中まで掃除をしていました。手洗いもひどくなり、洗いすぎで手が真っ赤になり皮がむけているような状態でした。強迫の症状に悩みながらかろうじて子育てをしていたような感じです。

有園
このころ汚いと感じるものは、おもにトイレに関するものですか。

みゆ
その頃はトイレ、排泄物とそれとだんだんと実家ですね。実家……母親です。

有園
トイレとかが汚れていると、感染症に子どもがかかってしまうのではないかとか、そんな心配があったのですか。

みゆ
感染症の心配をしたことはないです。ただ、汚れていたのが嫌だったんです。夫や姑に対する嫌悪感があったんですが、その気持ちのやり場がなくて掃除に走っていたような感じかしら。日々のストレスが蓄積して不安になると、汚いという気持ちが強くなり、掃除をして綺麗になると安心する、悪循環にはまってしまった感じでした。「こんなはずじゃなかった、もうこんな生活嫌だ」といつも心の中で叫んでいました。でも、逃げたくても行き場がなかったんです。結婚したものの、ここは私の居場所じゃないという思いを抱いていました。

有園
症状がエスカレートするとともに、実家が汚いと感じるようになっていったの?

みゆ
小さいころから母が嫌でした。うちの両親はある事情があって、当時父には婚約者がいたのですが母と結婚したんです。ですが、兄が生まれた後も父は元婚約者との関係が断ちきれず、それに対して母はいつもイライラしていてお酒を飲んでは暴れていました。父の浮気はずっと続き、学校から帰ると家の中は暗くて酒臭く、荒れ放題でした。また、母のほうも友人がやっていた割烹の手伝いをしていて、知らない男性と交遊しているところを小さい頃から見てきました。父は同僚を家に連れてきてお酒を飲ませて泊まらせることがよくあったのですが、ある朝、目が覚めたら、隣で父とスリップ姿の母が寝ていて、反対側の私の布団の中に父の同僚が寝ていました。その晩、父と母と同僚三人でそこで何をしていたのか、幼い私は見ていたんです。そして、父の同僚に布団のなかでいたずらをされたとも思うんです。ですが、あまりにも衝撃的でショックで、怖かったので……。自分のなかではなかったこととして記憶を封印していました。

幼稚園に入る前から中学生くらいまでは、生活のなかで両親の夫婦生活を目にしてきました。夜になると恐怖で眠れなく、小さいころはとにかくショックで泣き叫んでいました。母に対しては、母親というより、汚らわしい、不潔な女の人という目で見てきました。とにかく母は汚い、汚らわしいと思ってきました。また、小さい頃母からの体罰もありました。スリッパで100回くらいずっと叩くことで、ストレスを私にぶつけていたんです。そんな母が嫌だったし、家庭も嫌だった。

有園
発症当時はお姑さんや夫に対してだったのが、だんだん実家の母親に対して汚いと感じるようになっていますが、何かきっかけはありましたか。

みゆ
母はお酒におぼれるような生活をしていたせいか、60歳くらいから認知症のような症状が出始め、トイレを汚すようになり、失禁もするようになりました。失禁をしても本人は気づかないで濡れた服のまま家中を歩き回り、いろんなところに座ってしまうんです。母が汚したところはクレゾールを使って拭くようにしていました。そんな母なので、父も兄も面倒をみようとはせず、私が病院に連れていったりと、介護をしていました。まだ子どもが小さかったので、実家に子どもも連れて行って介護するのですが、おもらしをした母が座った場所を、そのあと子どもが歩いてしまうと、子どもが汚れてしまったと思うようになって。

認知症になってからも、母はお酒を大量に飲むことがあり、そうするとトイレではなく、その前で用を足してしまって、排泄物を壁や床になすりつけたりしました。また、布団のなかで排泄物にまみれていることもありました。まだ介護保険制度もなく、私以外に介護の手はなく、誰も助けてくれませんでした。(注:1990年代)

有園
このときは、まだ30代の初めですか。となると、子育てと介護がいっぺんにきちゃったという感じですね。

みゆ
そうですね、子育てしながらです。気持ちとしては母が嫌なのでやりたくないんですが、面倒見る人がいないので仕方なく一人でやっていましたね。父は単身赴任をしていたので、本当に仕方なく。

母は自分の家の冷蔵庫からジュースを飲むように、コンビニで支払いもせずジュースを飲んで通報されることもあり、たびたび母を引き取りに行きました。そんな状況でしたので、実家に子どもを連れて行き、ときには、泊まり込んで介護することもありました。

有園
たいへんな状況にいらっしゃったんですね。このころはOCDの治療を始めていないですよね。

みゆ
当時は、まだインターネットが普及していなかったので、病気に関する情報は本からでした。本をみて、自分は「不潔恐怖症」か「不安神経症」だと思っていました。ですが、どうやって治療をするのかはあまり書かれていなくて。それより、治療をしようという余力が当時はありませんでした。仕事もしていましたし。

有園
お母さんの介護はいつまでされていたんですか。

みゆ
10年間です。なんで、小さい頃、あんなに嫌な思いをさせられた母の面倒をみなくてはいけないのかと考えながら、介護していました。

有園
10年間、親の介護と子育て、仕事と本当によくがんばりましたよね。

みゆ
当時、夫に借金があったので、仕事を辞められる状況ではなかったんです。夫が遊んでつくった借金なのですが、姑からは「以前はこんな息子ではなかった。こんなふうに変ってしまったのはあなたのせいだ」と責められました。私もこれまでのうっぷんが溜まっていましたので、「お義母さんの育て方が悪かったから、こういう人間になったんでしょ」と、初めて強く反論しました。それを機に姑からの干渉は減りました。



§4 受診のきっかけ

有園
では、お茶さんから、受診のきっかけを教えてもらえますか。

お茶
加害恐怖がどんどん悪化して、なんとか学校には行っていたのですが、実際のところ学校どころではありませんでした。

一番僕にとって怖い強迫観念は、「カルト宗教」だったんです。「洗脳されて自我がなくなり悪いことをしてしまう」というのが怖かった。なぜ、カルト宗教が恐怖の対象になったのかは覚えていないんですが、マインドコントロールとか、そういうものが怖かったんだと思います。

日常生活にも支障が出てきて、対人関係も悪化していきました。本格的な強迫症状が出てから1年目の高3の8月、強迫観念が浮かぶと、頭の中を真っ白にするまでほかのことができなくなりました。だから、入浴時間がとても長くなってしまい、1時間とか1時間半くらい入っていました。それで、母が強迫性障害ではないかと気づいて精神科のクリニックに行くことになりました。母は看護師をしているので、気づきやすかったのかもしれません。

有園
お母さんに、精神疾患じゃないかと指摘されて抵抗はありましたか。

お茶
僕自身、精神病と認めるのは嫌でした。精神病というとやっぱり抵抗ありますし、でも背に腹はかえられないというか、クリニックに通うようにしました。

クリニックでは強迫性障害と診断され、薬物療法とカウンセリングをしました。でも、症状は悪化する一方で、自分が病気であるという認識はできたんですが、治療がうまくいくという実感はなかったです。カウンセリングは週に1回で、ロールシャッハ(注:心理検査の一つ)をやりましたが、後は話を聞いてくれるだけという感じ。一緒に対処法を探してくれるというものだったんですが、僕はありのままを話すことができなくて、オブラートに包んだように話していました。何が怖いのか、さらけ出すことができなかった。そんな状態で高校を卒業した年の11月まで通っていました。

この頃がいちばんひどくて、うつ病を併発していて、自殺未遂が10回を超えていたと思います。首つり、薬物、投身しようと自殺の名所まで行ったこともあります。頭の中で四六時中恐怖が襲ってきて、治療効果も実感できない、絶望です。強迫性障害が一番ひどかった頃は、誰かに危害を加える前に僕が死んでそれを防ごうと思っていました。

有園
不潔恐怖の人だったら、汚いと思うものに近づかなければ症状がでないこともあるけど、頭の中の強迫障害は、四六時中強迫観念に襲われて悪化しがちなんです。

お茶
僕の場合、頭の中のことだから逃げようがないんですよ。病院の先生がいっていましたが、そういう雑念は1日に3000回くるらしいんです。その3000回をどう対処していくのか、ということらしいんですけど。

有園
じゃ、ヒロさん、親に話して心療内科通ってみてどうでしたか。

ヒロ
自分がそういう病気だということがわかって、成績が下がったことを親も納得してくれるかな、と思って、原因がわかって安心しました。いざ、親に病気のことを話してみると、「病気なら、ほかの人よりもなお一層頑張らないとだめじゃないか」といわれてしまって、むしろ今まで以上にきつく叱られるようになりました。そんなんで、病院へ行ってよくなるどころか、悪化してしまって。そのころから確認の症状も出るようになりました。とてもじゃないけど、受験どころじゃなく、成績も一向によくなる気配がありませんでした。それまでも親との関係はあんまりよくなかったですけど、そのころから急激に悪くなっていったと思います。

有園
確認の症状にはどのようなものがあったんですか。

ヒロ
トイレの水を流し忘れてはいないかとか、戸締りとか。テスト用紙に自分の名前を書き忘れてないか何度も確認するというのもありました。

有園
病気に対するお父さんの認識は、現実とだいぶギャップがありましたか。

ヒロ
父親は昔の考えの人というか、「そんなものは気の持ちようで何とかなるだろう」とか「長男なんだから一番頑張らなくてはいけない」とかいわれました。親との関係悪化もあって、症状は悪化の一途でした。治療の効果も実感できなかったし、診察といっても「最近どう?」という感じで、こんなんで治るかなと半信半疑でした。

受験もすべり止めに受けた大学しか受からなくて、「浪人してもう一度チャンスが欲しい。病気を治しながら頑張るから」と両親に伝えて、予備校に通わせてもらったのですが、やはり症状のせいで、授業の内容も全然頭に入ってこないし、字を書くのも非常に苦痛だったし。ひどいときはただ席に座っているだけで、予備校の先生からも「授業受ける気がないなら帰りなさい」とすごく怒られました。

治療に関しては、このままではよくなる気がしなかったです。予備校に授業料を払った後でしたが、「予備校をやめて治療に専念したい」と親にいいました。最初受け入れてくれなかったんですが、なんとか納得してもらって。病院を変えてみようと、父親がネットで調べてくれたクリニックに行くことになりました。そこは認知行動療法をやっているということだったんですが、今思えば、「あれって、本当に認知行動療法だったのかな?」と思う程度のものでした。たとえば、水道の蛇口の確認については、「蛇口をしめたらそのまま何もしないでくださいね」といわれるだけ。それができたら困らないのに。結局半年ぐらい通ったんですが、そこの病院でも治療の成果は得られませんでした。

予備校をやめてから、プー太郎というか、家でずっと寝ている生活をしていたんですが、父親がOCDの支援グループをインターネットで見つけてきて、「行って来い」といわれて参加しました。そこで、自分と同じような経験をしている人たちがいっぱいいることを知り、安心しました。次回も参加しようと思えました。何回か参加しているうちに、そこのカウンセラーさんに話だけでも聞いてもらおうとカウンセリングを受けることにしました。

有園
みゆさんは治療に対してはどうでしたか。

みゆ
母や実家が汚いと強く思う一方、自分の家や家族、職場、自分の車などはきれいなもので、きれいなものと汚いものの二つをはっきりと線引きするようになっていきました。

実家に行くと穢(けが)れてしまうと感じて、帰宅すると家族にドアを開けてもらいどこも触らないようにしてお風呂場に直行していました。着ていた服もすぐに洗濯機に入れるのですが、そのときも服が洗濯機の周りに触れないように、注意していました。お風呂は1時間から1時間半くらい入りました。いくら体を洗っても眼や鼻、耳の中、体の中まで汚れてしまったと感じて、実家に行った翌日の排泄物まで汚れていると感じていました。うちと実家は車で5分くらいの距離で生活圏が一緒なんですが、実家が利用する店も汚いと思って、近所で買い物するのをやめました。これは家族にも強要していました。実家の車とすれ違うだけでも車を洗うしかない、と思ってしまうほどでした。

私が30代後半に母は脳梗塞を発症し入院したため、汚い存在が実家にいなくなりました。その頃、父も定年になっていたので、母が亡くなるまでの3年間は一緒に介護をしました。39歳のときに母は亡くなりましたが、母が汚い、実家が汚いという思いは消えず、症状も、むしろ悪化していきました。

同じころ、「このままでは嫌だ、なんとか病気を治したい」という気持ちが強くなってきました。母の死をきっかけに実家とも行き来しようかと思ったのですが、なかなか自力ではうまくいかず、30代の終わりから昨年まで、そんなことを繰り返しているうちに症状がひどくなっていきました。認知行動療法について書かれた本を読んで、どうすればよいのかは知っていたのですが、私には怖くて。やらなくてはいけない、やっぱり無理の繰り返しの10年でした。

有園
本やネットだけの情報の人は、みゆさんのようになりやすいんですよね。自分で認知行動療法を真似してみるんだけど、それで改善するのはなかなか難しいですね。


次回は、強迫性障害の症状をどのように改善していったのかをお話しいただきます。


*注釈
*1
加害恐怖:自分の言動がきっかけとなり、他人(家族も含む)に、危害や迷惑が及んでしまうのではないかと過剰な不安が生じてしまう強迫観念。人に危害を加えたいのではなく、そのようなことが絶対にあってはならないと考える人が、もしもの場合を想像して心配してしまう。