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OCDのグレートたち
「エイリアン」の姿を産み出した画家H. R. ギーガーの強迫観念とは?


映画『エイリアン』シリーズに登場するあの怪物、エイリアンの怖さといったら、忘れられないという方も多いのではないでしょうか。人間を襲い、人の顔にぴたりとくっつく蜘蛛のようなエイリアン、そして鋼鉄のような長い頭部と鋭い歯を持った巨大なエイリアン。誰も見たことがない地球外生命体のクリーチャーを想像だけで創り上げたのは、スイス生まれの画家、H. R. ギーガーです。

エイリアンがOCDに関係あるの? と疑問に思う方も多いことでしょう。もちろん、映画になったエイリアンは、ギーガーの絵を元に作られたものです。しかし、世界中の人々を怖がらせたその生命体の持つ迫力とリアリティは、ギーガーという一人の画家の創作なしには成立しませんでした。

ギーガーの作品は、人間と動物と機械とが入り混じったような、想像上の生き物や風景が画面いっぱいに描かれていることで知られています。エイリアンのクリーチャーも、こうした絵画作品の中に、その原形があります。それは驚異的なイマジネーションの産物であり、強迫観念に苦しめられながら描いたものというよりは、脳裏に浮かぶイメージを冷徹に描いたものに見えます。
ところが、ギーガーの自伝的なエッセイが書かれた画集『ネクロノミコン1』(トレヴィル刊)には、若い頃にギーガーを苦しめた悪夢について書かれています。

それは、通路の夢だったそうです。
「私はたいていある大きな、ドアも窓も無い白い空間にいて、そのなかでたったひとつの出口といえば、暗い鉄製の開口部だけだった。(中略)この開口部を通ろうとすると、決まって行き止まりになってしまうのだった。(中略)そこで私は両腕を体にぴたりとくっつけ、管の中なかに入り込んだが、進むことも退くこともできなくなり、空気が不足してくるのを感じるのだった。目覚めが唯一の解決策だった」

こうした夢を何度も見たあと、ギーガーはその通路を絵に描くことで精神的な危機を乗り越えたと書いています。その後あるとき、夢で見た通路の閉じられた出口とそっくりの光景を見つけました。それはゴミ焼却施設の、丸いふたのついたゴミ取入れ口でしたが、それを描写した絵には、単なる金属製の建物の一部には見えない、生き物のような雰囲気が漂います。
「私にとって通路は、快楽と苦悩のあらゆる段階にわたって、生成と消滅の象徴となった。そして今日に至るまで、それは私を放免してはいないのである」

若い頃、自分の脳裏に浮かぶイメージしか描けなかったギーガーは、教師に理解されず、建築設計を学んだ州立学校では、コンテストに出してもらえなかったそうです。
「人がいったん正直になれば、自分がしばしば不吉な考えに悩まされたり、身の毛もよだつ悪夢に襲われることを否定することはできないだろう。混沌とした内面生活を持つこうした人間のほとんどは、他人に悪い印象を与えたくないので、自分自身に対してでさえ、持っているに違いない倒錯した考えを認めることを恐れている」
しかし、絵や言葉で表現することができれば、そういう人たちは救われるのだとギーガーは言います。
こんな変わった画家、ギーガーの名が世界に広く知られるきっかけとなったのは、1973年に発売されたELP(エマーソン・レイク&パーマー)のLP『恐怖の頭脳改革』のジャケット画でした。一見、美しい女性の絵に見えますが、ここにはすでに、人間と機械とが融合してしまった姿が描かれています。ギーガーはその後、映画『デューン』のセットデザインの仕事を経て、『エイリアン』で世界に知られるようになりました。現在、スイスのグリュイエール市にはギーガー美術館があります。
画家や小説家の中には、繰り返し脳裏に浮かぶ純粋強迫観念に悩まされながら、創作によって心のバランスを取っていく人たちがいます。それがはっきりとしたOCDの症状といえるかどうかは人によってそれぞれ違うことでしょうが、少なくとも人間の脳の働きと心、そして創作力の間には、不思議な関係があるようです。
◆H. R. ギーガー プロフィール
1940年、スイスのクーアに生まれる。父親は薬剤師。建築設計を学んだ後、62~66年、チューリヒの美術工芸学校に学び、工業デザイナーになる。映画『エイリアン』シリーズ、『帝都大戦』のコンセプトデザインなどに携る。画家として多くの作品集を刊行。